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33
「ゼルさま」
ユリアの声が背後からかけられた。
「来たか?」
「……はい。確認しました」
ゆったりともたれていた椅子から身をおこす。
「わかった。お前はフランソワーズの支度の準備を」
「はい」
そういつものように答えたものの、ユリアの足は止まったままだった。
ゼルが訝しむように、ユリアの方に視線をむける。
「ゼルさまは……これから、どうなさるおつもりですか?」
「ユリア」
ゼルが立ち上がる。
その声には、有無を言わせない強さがあった。
ユリアが頭を下げる。
「支度を」
ユリアはもう一度深く頭を下げ、部屋を出ていった。
ゼルはそれを確認すると、一つ息をつき、身を翻した。


34
彼と通信で話して以来、ユリア以外の誰とも顔を合わせていなかった。
仲間を信じて待つと決めた。
ゼルの言葉には惑わされないと決めたのに、さらなる不安が胸をよぎる。
信じている。
必ず、みんなはここに来てくれる。
でも………。
あの時の気持ちが、自分でも信じられないほどしぼんでいた。
もし、ここにみんなが来たら?
自分を捜し出して、全員でそろってこの屋敷から逃れることは、本当に可能なのか?
ゼルが言うように、この館のすべてが自分たちの敵だ。
無傷でいられるとは思えなかった。
ジョーを信じてる。
でも……。
みんながそう思ってくれているように、私も、ジョーや仲間を守りたい。
そのためには……。
そうすればゼルは、仲間への攻撃をやめるだろうか?
ゼルにとって、それだけの価値がまだ自分にあるのだろうか?
そう考えて、頭を振る。
何を考えているのだろう。今の自分も冷静ではない。
自分に何ができるのか、何をするべきなのか、一人で考えれば考えるほど分からなくなっていく。
今、こうして何もできないまま彼を待っていていいのか。
やはり、自分を切り捨ててもらった方がよかったのではないか。
彼との約束を破っても、彼らの命を守ろうとするのは、やはり裏切りになるのだろうか。
ぐるぐると同じことばかりが、頭の中を巡る。
ジョーと話して、そんな気持ちは捨てたはずなのに。
今までどんなに危険な命がけの戦いを決めたときも、こんなに迷ったことはなかった。
胸の奥からつまったものをはきだすように、ため息をついた。
──私はこんなに弱かったんだわ。みんながいないと、何一つできないなんて……
「……もうすぐ、奴等が来る」
フランソワーズの部屋に入るなり、ゼルはそう言った。
フランソワーズは窓際に立ったまま、唇を噛み、ゼルを見る。
相変わらず、左足にはしゃらしゃらと音を立てる鎖がつながっていた。
「どうした?」
何事も無かったかのように、ゼルの口調も態度も変わらなかった。
「お前は、あいつを待っているのではなかったか?気にならないのか?」
からかいを滲ませた言葉を、彼女に投げかける。
「……みんなはそれぞれ動いているはず。今の私では、なにもできないわ。……気にしてもどうしようもないんでしょう?」
「あの勢いはどうした?今日は大人しいのだな」
フランソワーズの方にちらりと、伺うような視線をむける。
「その通りだ。お前には何もできない。……奴等の命も、もう終わりだ」
「やめて!」
フランソワーズがゼルの言葉を遮り、睨んだ。
青い瞳の色がいっそう深くなったような気がする。
怒っているのか、それともそうすることで不安を隠しているのか、どちらとも取れる不思議な色の瞳がゼルを見つめていた。
「その目だ」
ゼルがゆっくりと、窓際の彼女の所まで歩み寄る。
「その目が私をとらえる」
手を伸ばし、フランソワーズの髪を一房を手のひらに絡める。
そして、そのまま自分の方へと引いた。
身体ごとゼルの方へと引き寄せられたフランソワーズは、それでも視線をはずさなかった。
ゼルの指が、彼女のあごに触れ、すっきりとしたそのラインを確かめるように、優しくとらえる。
「そうだ、私に怯えるな。お前はそのくらいの方がいい」
「やめて」
フランソワーズがその手を振り払うと、ゼルのもう片方の腕が彼女の肩を包み込み、ゼルの胸へと押しつけた。
「お前はこの前、私のものになると言わなかったか?」
ささやくようにゼルが言った。
「私を自分のものにしないと言ったのは、誰?」
「今ではないと言っただけだ。先に態度を変えたのは……お前だ」
「仲間の首を並べるまでは、と言ったのは?」
「さあな」
黒い髪がフランソワーズの耳元をかすめ、さらりと落ちた。
「どうする?フランソワーズ」
ゼルの腕に力が込められ、フランソワーズの頬がゼルの胸に埋められる。
何かが、今までと違っていた。
振り払えそうで、振り払えない力。
「もう、すぐそこまで来ているぞ」
すぐ耳元で声がした。
「お前のために、死にに」
フランソワーズが、顔を上げる。
息が触れるほど近くで、強い瞳がゼルを見ていた。
だが、その中にかすかに動揺と不安の色が見えた。
ゼルが小さく笑みを浮かべる。
「……もう、すぐそこだ。奴等はここを見つけた」
「離して!」
「お前は、私のものになるのではなかったか?奴等の命と引き替えに」
ゼルの腕にさらに力が込められた。
彼女が、腕の中で息を飲むのが分かる。
「どうした?フランソワーズ」
「や…っ!離して!……言ったはずよ。私は仲間を信じてる!」
フランソワーズの手が、ゼルの胸を押し返す。
「いいのか?それで」
彼女の背中に回ったゼルの腕が、それを許さなかった。
「本当にいいのか?お前のせいで、やつらの命が奪われることになっても?」
「…やめて!私はジョーを信じてる!」
「一人ずつなぶり殺してやる。……息の根を止めてやる。……お前の目の前で」
「ききたくない!」
「我々の力を尽くしてやる。たった8人で生き残れると思っているのか?……お前は、本当にそれでいいのか?」
「私が何を言っても、何をしても、みんなと戦うつもりのくせに……!」
フランソワーズが、震える声で呟いた。
「さあ。どうかな。私は気が変わりやすい」
抱きすくめるようにして、唇を重ねる。
腕の中で、フランソワーズが身を固くしていたが、それでも徐々に、逃げようとするそぶりは感じられなくなっていた。
ゼルは唇を離すとにやりと笑い、片手で彼女の顔を上に向かせる。
フランソワーズはきつく目を閉じ、唇を結んでいた。
ふわりとかかった亜麻色の髪をそっと払い、身をかがめて白い額に唇を寄せる。
それから瞼へ、頬へと、小さな口づけを降らせ、淡く色づいた唇に戻る。
唇を離したばかりのまつげが、小刻みに震えていた。
ゼルの手のひらが、かすかに頬を撫で、そのまま長い髪を梳くようにしてうなじのあたりを彷徨い、彼女の頭を後ろから支えた。
そのまま、自分に押し付けるようにして唇を重ねる。
フランソワーズの左足につながった鎖がしゃらと音を立て、ゼルの腕に彼女の重みが感じられた。
それに答えるようにか、ゼルの唇がフランソワーズを包む。
そうして、ようやく唇を離したときの彼女の小さな吐息に満足した。
なおも、ゼルの唇は首筋にと移動していく。
一瞬だけ身体をふるわせた彼女の、じっと閉じたままのまつげが少し濡れているように見えた。
白いのど、白い鎖骨へと口づけを続け、その間にもゼルの片方の手が、彼女のドレスを開いた背中からゆるめてその素肌にそっと触れていく。
ひんやりとした手が、むき出しになった肩を這った。
「いや…!!」
その感触にか、フランソワーズは小さく声を上げてその手から逃れる。
ゼルがまた、にやりと笑った。
「お前があいつを信じると言っても、その程度だ」
フランソワーズがゼルから離れようと、身をよじる。
だが、ゼルの長い髪が揺れただけで、ゼルの強い腕からは抜け出すことができなかった。
「結局は、お前は奴等は私に負けると思っている。だから今、私に身を委ねようとした」
ゼルの腕の中で、乱れた髪もそのままにして彼女は首を振った。
「……違う」
「ではどうして、あいつを信じて待つと言ったお前が、私の思うままになっている?」
「違う!」
「お前の覚悟などその程度のものだったのだな。ならば、私も容赦はしない」
「違うわ!」
「あれだけの啖呵を切った割には、お前は私に従った。私の言葉に惑わされないと言った割には、あっさりと私の言葉を信じた。……お前は奴等を信じてはいない」
「……」
「覚悟もできていないのに、大口をたたくな」
ゼルの両腕がフランソワーズをふわりと抱き上げた。


35
「ここか」
蔦の絡まった門の前に7人は立っていた。
屋敷の周りは高く、厚い塀に囲まれ、入り口はここしかないようだった。
「中の様子は分からないな。この門の様子じゃ、あんまり人の手は入ってないみたいだな」
錆び付いた門扉を見てピュンマが呟いた。
「さあな。行くしかないだろう?ジョー」
ジョーは大きく頷いた。
きっとこの中にフランソワーズがいる。
今も、自分を信じて待っているはずだ。
「ジェロニモ、頼む」
ジェットの言葉にジェロニモが進み出ると、門扉を揺らした。
「どうせ、あっちは俺たちの動きを知ってるんだ。派手に行こうぜ」
ジェロニモが少し力を入れると、あっけないほど簡単に、鈍い音を立てて錆びた門扉が開いていった。
扉自体もかなりの厚みがあったが、この荒れ果てた状態では本来の役目を果たしているとは思えなかった。
最後に思い切り押し開けると、大きな音を立てて扉が壁に当たる。
「すごいな。前も見えないぞ」
その扉の向こうにはは、彼らの背丈ほどもある草が生い茂っていた。
「派手に行くなら、わてに任せるアル」
ポンと胸を叩いて、張々湖がぼっと炎を吐き出すと、先頭に立って草を焼き払い、道を作っていく。
「なるほどね」
「何があるかわからない。十分気をつけてくれ」
ジョーが張々湖のすぐ後ろを歩きながら、全員に向かって言った。
「了解。普通に考えても罠をはってるだろうな」
「だが、フランソワーズを助け出すのが目的だ。ちょっとやそっとの罠にびびってちゃ、なんにも始まらないぜ?」
ジェットが吐き捨てるように言う。
「ま、そういうことだな」
門から屋敷まで、それなりの距離があるようだった。
草に埋もれていながらも、所々に彫刻や、樹木が見える。
「まったく、ゼルの奴は何を考えてるのかね。どうせならここも整えておいてくれりゃいいのに。どうせ歓迎してくれるんだろうから」
グレートがあたりを見回しながら呟く。
「もうこの辺りから歓迎が始まるのかもしれないぜ」
ハインリヒが皮肉めいた笑みを浮かべてグレートを振り返った。
「来るなら来いってんだよ、まだ屋敷につかねえのかよっ!」
イライラした声を上げてジェットが辺りの草を蹴散らす。
「その辺に地雷でも埋まってたりしてな」
のんきな声でグレートが混ぜ返す。
「却って、ここになんにも仕掛けられていない方が不気味だよ」
そんな仲間たちの声をききながら、ジョーは黙々と歩いていた。
フランソワーズは、必ずここにいる。
必ず待っている。
あの時見た、涙が忘れられない。
「ジョー、屋敷の玄関だ」
ジェロニモの声に前を見ると、ちょうど張々湖の炎が、目の前を遮る草を焼ききったところだった。
かなりの年代物のようだが、しっかりした屋敷のようだ。
白い壁には壁と同じように蔦が絡まり、重厚そうなドアを守っているようにも見えた。
「もちろん、正面から行くんだろ?」
ハインリヒがきく。
「もちろんだ」
この中のどこかに、彼女がいる。
ジョーは、扉の前に立ち、大きく息を吸った。

to be continued

 

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