29
フランソワーズは部屋に閉じこめられたまま、じっと考えこんでいた。
昨夜、あれからすぐに部屋に戻され、手の中にあったあの鍵も取りあげられてしまった。
部屋の隅にはやはりユリアが控えている。
こちらだけをじっと見つめて、ただそこにいた。
ユリアだけは何一つ変わりなく、己の役目を果たしているようだった。
最初に連れてこられた時と同じように、扉には鍵が掛けられ、ゆったりとしたソファに腰掛けた彼女の足首には、華奢な鎖が繋がっていた。
それを見つめて、彼女は小さく息をつく。
ゼルは仲間を殺すと言った。
自分がここに捕らえられているばかりに、彼らの動きを封じてしまうだろう。
見捨ててくれていいのに。
見捨ててくれた方がいいのに。
両手で顔を覆う。
(私はどうしたらいい?)
この場所が世界のどこに位置しているのか、分かったとしても、知らせる手段がない。
現在の気候、星のならび、空気の匂いにある程度の見当がついていた。
でも、どうやってそれを知らせたら。
そこまで考えて、ふと思い至る。
だめ。
顔をあげた。
ここの場所を知られては、だめ。
多分、みんながここに来るのをゼルは待っている。
私を餌に、罠を張り巡らせて。
それが分かっていても、みんなはきっと来てくれる。
そして、それが私たちだった。
どうしたらいいの?
私一人では、どうすることもできないの?
静かに衣擦れの音がして、ユリアが立ち上がった。
心臓が跳ね上がるのが自分でも分かる。
息を詰めたまま、じっと自分の足元を見つめていた。
その予想通り、静かに開いた扉の前には薄笑いを浮かべたゼルが立っていた。すぐ脇に、頭を垂れたユリアが控えている。
ゼルは、その場でゆっくりと彼女に向かって片手を差し伸べた。
「来い。フランソワーズ……。お前の仲間に、お前の姿を見せてやろう」
ゼルの声が、部屋の中に響いた。
不覚にも肩がびくりと震えてしまう。
俯いたまま、唇を噛んだ。
ゼルが面白そうに、彼女を見て笑った。
隣のユリアも、ちらりとフランソワーズの方を見た。
そちらを見ようともせず、彼女は小さく首を振った。
「……いや…」
「あいつらはどうするかな?……お前の姿を見せつけられて……」
彼女の呟きは耳に届かなかったのか、それとも、聞くつもりはなかったのか、ゼルはからかうような言葉を浴びせて彼女に歩み寄る。
「……怒るか?……焦るか?それともお前を切り捨てるか?」
ゼルの長い髪が、彼女の頬に触れた。
そして、聞き取れないほどの小さな声でゼルが囁いた。
「だから、あいつらに教えてやろう。フランソワーズ、お前のここでの姿を。あいつらの出した答えを、お前も自分の目で確かめればいい」
ゼルの息が耳にかかる。
彼女は答えなかった。
落とした視線の先にはゼルの爪先が見えていた。
「……多分、お前を取り戻すために、必死になるだろうな。そして、ここを見つけ出す。その時が……」
彼女の腕を強く握って、その体を自分の方へと引き上げる。
とっさに顔を上げたフランソワーズの青い瞳を見つめ、口元を歪めて小さく笑った。
「あいつの最期だ」
30
「ゼル!!」
瞬間的にその場にジョーが現れる。
ジェットとイワンを除く他の仲間と、ギルモア博士がすでにそこに集まっていた。
彼の目に、モニタに映し出された映像が飛び込んでくる。
見知らぬ場所、見知らぬ衣裳で微笑みながら踊る彼女がそこにいた。
「ジョー」
モニタの正面にいたハインリヒが、彼に場所を譲る。
ジョーは、頷いてその場所に立ち、まっすぐにモニタだけを見つめた。
その後から遅れてジェットが入ってきた。腕には眠ったままのイワンがいる。
抱きにくそうにしているジェットの腕から、ジェロニモがイワンを受け取ると、ジェットは少しだけほっとした表情を浮かべて、ジョーと同じようにモニタに向かった。
薄暗い部屋の中、ゆらゆらと揺らめく蝋燭の明かりに照らされた彼女は、まるで幻のようで美しかった。
儚げに、軽やかに、静かな音楽の中に溶け込んでいるようだ。
ゼルの作り出したこの状況が、彼女をより美しくみせているのだろうか。遠くを見る瞳をして、幸せそうに踊っている。
ジョーには、彼女の踊るこの作品がなんなのか分からなかったが、彼女から優しい気持ちが溢れているようだと、そう感じた。
……こんな風に踊れる環境に彼女がいることがわかっただけ、ましというものか。いつもと変わりなく見える彼女の姿に、仲間も安堵の息をついた。
その中で、ただ一人ジョーだけは唇を噛みしめていた。
「ゼル!」
彼はもう一度、その名前を呼んだ。
次の瞬間、静かに踊る彼女の姿は消え失せ、大きなモニタの中ではゼルが不敵な笑いを浮かべて、いた。
『……遅かったな。そして、元気そうでなによりだ。009』
ジョーは、黙ったままモニタの向こうのゼルを見据える。
『そう睨むな』
「お前の目的は何だ?……どうしてフランソワーズを……」
彼の後ろで、仲間たちが同じようにゼルを見据えている。
ゼルの目的が分からなかった。
ジョーとイワンを除く他のメンバーで、あの時狙われていたベルリネール氏の身辺もそれとなく伺っていたが、NBGの影はちらりとも認められなかった。
そうすると、やはりゼルの真の目的は彼女だけだったということだろうか。
とても信じられないことだが……。
それなのにこうして通信を入れてくるところも、また、分からなかった。
彼女を手に入れて、満足しているのではないのか?
『わかりきったことを。……フランソワーズは私のものだ。あの時、そう契約した。それを奪っていったのはおまえだ。だから返してもらったまでのこと』
探るような瞳で彼を見る。
「フランソワーズはものじゃない!フランソワーズをどこにやった!」
ゼルがちらりと左に視線を走らせた。
『……ここにいる』
ゼルがモニタのフレームの外に手を伸ばしていた。
その手に力を込めると、引きずられるようにして彼女の姿が現れた。
ゼルの手を振り払い、身を引こうとするフランソワーズの姿。
ゼルはそれを許さず、自分の隣に引き寄せた。
白いシンプルなワンピースに身を包んでいる。
綺麗に梳かれた亜麻色の髪、すんなりとのびた腕。どこにも変わりはないように見える。
その表情を除いては。
「フランソワーズ!!」
彼の声に、ぴくりと身を震わせていた。
顔を上げることもできず、一歩後ずさると、ゼルの後ろに隠れるようにして立っていた。
「……フランソワーズ?」
彼女の態度を訝しむジョーの声に、ますます彼女は俯いてしまう。
「……」
その姿が、また彼らの心を苛んだ。
先ほどの踊っている姿とは一転して、何かに耐えるように俯いたままのその姿は、とても痛ましかった。
それ以上何も言うことができなくて、彼も黙りこむ。
全員の視線が彼女に集中していた。
誰も、何も言葉を発することなどできなかった。
それは、彼女も同じだったようだ。
しばらくの沈黙の後、意を決したように彼女が口を開いた。
『……お願い、みんな……私のことは、放っておいて…』
かすれた、小さな声。
「……」
彼も彼女の姿を見つめたまま、微動だにしなかった。
その間で、ゼルが不敵に笑ったまま彼の様子を伺っている。
『もう……みんなのところには、帰れない』
まさか……仲間たちが目線を交わす。
いや、まさか、ではない。
次に彼女がゼルの手の中に落ちてしまったらどうなるのか、想像はできたはずだ。
ただ、その想像をしたくなかった。
そんなことはないと、自分たちに言い聞かせていただけだった。
フランソワーズはそんな風に傷つけられてしまったのか。
胸に抉られるな痛みを感じ、誰もが拳を握りしめていた。
『だからお願い、私のことは、もう忘れて……。あなたたちは先に進んで』
感情のこもらない声で、ゆっくりとそれだけ言う。
決して顔を上げることも、青い瞳をこちらに向けることもなかった。
「……フランソワーズ……どうして……?」
絞り出すようなジョーの声に、仲間たちがはっとする。
「お、おい、ジョー」
『……私、ここにいたいの。もうゼルの元から離れることはできない』
「フランソワーズ!」
彼の呼ぶ声に、彼女は肩を震わせていた。
『……お願い、分かって……みんな……』
「君に何があったのか、僕らには分からない!……僕はっ!」
「やめろ、ジョー!!これ以上フランソワーズを傷付けるな!お前が……」
ジェットが彼の腕をつかむ。
ジョーは、それを振り返りもせずに払い除けた。
「ジョー!?」
いけない。このままジョーとフランソワーズに話をさせてはいけない。
高ぶったままの感情を、彼女にぶつけさせることだけは。
そうしなくては、本当に彼女が帰ってこれなくなってしまう。
ハインリヒはジェットに合図すると、両側からジョーを押さえた。
「離してくれ!」
ジョーはそれをも振り払った。
二人の方を見ようともしない。ただまっすぐにモニタに向かっていた。
「ジョー!落ち着け!」
『……さよなら……ジョー』
彼女の震える小さな声。
「バカっ!!」
その声を遮るように、ジョーが叫んだ。
「ジョー!?」
仲間たちは顔を見合わせた。
彼の両側にいた二人ですら、彼の背中と互いの顔に視線を走らせるだけだ。
「どうしてなんだ、フランソワーズ!」
彼女が驚いたように顔を上げて、彼を見ていた。
しばらくぶりに目にする、彼の姿。
栗色の髪も、同じ色の瞳も、なんだかとても懐かしく感じる。
それなのに、こちらに向けられた表情はいつもと違う。こんなに厳しい表情。
自分に対してこんな風に声を荒らげる彼を見たのは、初めてだった。
「どうして、僕らを信じてくれない?」
ジョーはフランソワーズだけを見ていた。その前に立ちはだかっているゼルの姿さえ見えてないかのように、熱心に彼女だけを見つめていた。
彼女も胸をつかれたように、彼の姿を見つめ続けている。
「……フランソワーズ……、君が僕らを案じてくれてるのは分かってる。僕らのためにそう言うのも、わかってるつもりだ……。でも……僕らは……」
ジョーは微笑みを浮かべた。
「僕は、君を失うつもりはない!」
「……」
「だから、僕を信じて。君は僕らがゼルに負けると思っているのかい?」
彼女が首を振る。
『でも……ジョー…』
「必ず行くから、そこで待っていてくれ。フランソワーズ。僕は君との約束だって、忘れていないよ」
彼女の青い瞳が潤むと、一粒、涙が零れ落ちる。
彼の姿が眩しかった。そして嬉しかった。
『……ありがとう、ジョー……みんな……。私……』
ふいに彼女の視界が黒く覆われた。
気付いたときにはもう、ゼルの胸に体ごと押しつけられていた。
『いやっ……!』
声を発した途端に、息もできないほどに抱きしめられる。
『ここまでだ。……009……いや、島村ジョー』
彼女を押さえつけるように強く抱きしめたまま、彼を見た。
『ここまで来れるというのか?本当に?』
その亜麻色の髪に唇を寄せる。ゼルの腕の中から、彼女の何かを訴えるような瞳がのぞいていた。
しかし、それすらもゼルはその黒髪で覆い隠してしまう。
彼女の姿はゼルに包み込まれるようにして、見えなくなった。
「……」
彼はその様子をじっと見つめる。決して視線を逸らすことはなかった。
『来るがいい、ここに。その時には』
ゼルは全員を見回すと、不敵な笑みを浮かべた。
『決着を付けるとしようか』
その言葉が終わらないうちに、モニタから映像が消えた。
「あっ」
誰かが小さく声をあげる。
その後はただ真っ黒な画面から、小さくノイズ音がするだけだ。
「すぐに今の通信データを解析するんじゃ!場所の特定を急ぐぞ」
端末に飛びついたギルモア博士の声に、ピュンマが頷くとすぐに行動を起こす。
モニタの前の彼は悔しげに歯を食いしばると、目の前のパネルに両手を叩きつけた。
「……っ」
言葉にならない。
とにかく彼女は生きていた。それには安堵できた。
しかし……。
彼女の身に起こったであろうことを想像すると、いても立ってもいられなかった。
フランソワーズが待ってる。傷ついている。早くここに連れて帰りたい。
ゼルの元で一人戦っている彼女を、一刻も早く解放したかった。
あんな瞳をさせていたくない。自分の知らないところで。
その思考に被さるように、すぐそばで大きく高く泣き声がした。
「イワン!?」
ジョーがすぐにそちらを振り返と、まるで火がついたかのように泣き出したイワンを、ジェロニモがあやしていた。
「……イワン!起きたのか!?」
周りにいた仲間たちが、そのジェロニモに駆け寄る。
「心配させるなよ。いつもよりも睡眠時間が長かったじゃねえか」
ジェットが毒づきながらも、ほっとした表情を浮かべてイワンをのぞき込んだ。
「そうアル、フランソワーズ連れて行かれてから、なかなか目、覚めない……心配したヨ。お腹すいたアルか?」
仲間が口々に声を掛けても、イワンは泣き続けるだけだ。
「お、おい、イワンどうしたっていうんだ?」
いつもと違う様子に顔を見合わせる。
さすがのジェロニモも弱った表情で、腕の中のイワンを見ていることしかできなかった。
「イワン……なにか感知できたんじゃな?」
データの解析に力を尽くしていたはず博士が、いつの間にかジェロニモの隣に来ていた。
「博士?」
ひとしきり声を上げてようやく落ち着いたのか、イワンはジェロニモの腕の中から博士の方に顔を上げた。
「博士……ソチラハ?」
「だいたいの所は、な。あとはお前さんの力を借りたい」
「ボクニモ見エタヨ。フランソワーズノ姿ガ……スマナイ、ミンナ……。ボクハ無力ダ……」
「イワン……」
「肝心ナ時ニ眠ッテイテ、何モデキナカッタ……。フランソワーズガ苦シンデイタノニ」
ギルモア博士はジェロニモの手から、イワンの小さな体を受け取った。
「まだ遅くはないんじゃよ。今からあの子を迎えに行こう」
もう一度全員の顔を見回した。
モニタの前に立ち尽くしている彼も、その後ろでじっと何事かを考え込んでいるハインリヒをも見つめてから、大きく頷いた。
「これからが、本当の闘いじゃよ。なあ、ジョー」
31
「なぜ…あんな態度をとった?」
通信を切っても、彼女の体をきつく抱きしめたまま、ゼルが低く聞いた。
彼女の白い姿は、ゼルの持つ黒に覆われていた。
フランソワーズが苦しそうに身を捩ると、ようやく気付いたようにゼルがその力を緩める。
息をついて、彼女はその胸から離れようと腕でゼルを押し返した。
だが、ゼルはそれを許さなかった。
自分の体に彼女を抱き止めたまま、彼女の顔を上げさせる。
「素直にあいつに、助けを求めればよかったのだ……」
「……」
彼女の青い瞳に動揺が走る。
「結果としては同じ事だったがな」
小さく笑った。
「お前の態度が、あいつの心を捕らえている。何があってもここに来るだろう。001も目覚めた頃だろうし、わざわざ通信までしてこれだけヒントを与えてやったのだ。これでここを見つけられないような無能ならば、殺す価値もない」
じっと、ゼルが探るように彼女を見つめていた。
「……すべて、お前が悪いのだ。私は奴等を殺す。そうさせたのはお前だということを忘れるな」
フランソワーズはゼルを強く睨んだ。
「あいつは私がお前を奪ったと思っているだろう。それでいいのか?フランソワーズ……。お前がもう一度あいつを目にするとき……。それはあいつの最期だ。可哀想だな。あいつはお前が私のものになったと信じたまま、死んでいくのだ。そして、お前はここにいるしかない」
「いいえ!私は仲間を信じる。私の仲間はあなたたちに負けたりなんてしないわ!」
力強くゼルに反論する彼女を面白そうに見つめた。
「で、どうするというのだ?」
「だから、私もあなたになんか負けない。あなたの言うことに惑わされたりしない。決してあなたのものになんて、ならない!」
ゼルの瞳から、からかいの表情が消えた。
彼女はまっすぐにその瞳を見据える。
彼女から、今まで見え隠れしていた怯えの色は消え去っていた。
「私はジョーを信じてる」
ゼルは彼女の体を突き飛ばすように離した。
「あっ」
その衝撃にバランスを崩しながらも、なんとか踏みとどまった彼女を、ゼルが見下した。
「……好きにするがいい。お前がどう思おうと、あいつはこの手で息の根を止めてやる。……どうやっても私の手の中から飛びたたせはしないぞ。フランソワーズ」
ちらりとドアに視線を走らせる。
「ユリア。フランソワーズを部屋へ」
静かにドアが開いて、恭しく頭を垂れたユリアがそこで待っていた。
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