6. ハインリヒ(現在)

「おい、まただぜ」
ジェットが隣のハインリヒをつついた。
「あん?」
ジェットの促す方向には、ジョーと、彼について回るタマラの姿があった。
ジョーも、歩く速度をゆるめて、タマラを気遣っているように見える。
「あのお姫さま、相当ジョーに惚れ込んでるな」
小さく口笛を吹いた。
仲良く連れだって歩き、ことあるごとに話しかけるタマラの姿に苛立ちを感じた。そして、それを許すジョーにも。
あれだけ忠告してもちっとも変わらない……。あいつ、なに考えてるんだ。
「何をやってんだか」
どうしても、あの寂しげなフランソワーズの表情が脳裏から離れない。
彼女は今ごろ、イシュメールの内部で点検をしているはずだ。
この様子を見られないだけまだましか、とも思う。
いや。もしかしたら、見てしまったかもしれない。彼女の能力で。
「あれじゃ、フランソワーズがかわいそうじゃねえか?」
小声でジェットがささやいた。
お前は遅いんだよ。気づくのが。
「俺はもう知らねえよ。後はジョーの気持ち次第だろ」
「それは……、そうにちがいないけどよ。まさかジョーの奴もあのお姫さまに惚れちまったなんてこと……」
「神のみぞ知るってとこだろ。とにかく、このイシュメールをさっさと修理して、ここから発った方がいい。これ以上傷が深くなる前に」
「あのお姫さまに魅入られたら、ついフラフラとしちまう気もわかるがな」
ジェットが肩をすくめるのを見る。
まったくだ……。だが……。
お前に、それは許されないんだぞ、ジョー。


7. サバとフランソワーズ

フランソワーズは、サバを探してイシュメールから降りていた。
辺りを見回してみるが、その姿は見あたらない。
「もう、サバったらどこに行ったのかしら」
内部の操作のことで聞きたいことがあったのに……。 ちょっと外の様子を見てくるといったまま帰ってこないのだ。
一つため息をつく。
とにかく、今は何かしていたかった。
イシュメールの中で一人きりになるとどうしても考えてしまう。思い出してしまう。
外に出て、緑の匂いのする林の中を歩き、風を感じていることで心が休まった。
少し歩いたところで、少年の姿を発見する。
自分の立っている位置から、少しはなれた木の影にサバがいた。
じっとなにかを見つめている。
(サバ、どうしたのかしら……?)
もし何かあったのなら、こちらの居場所を知られるのは得策ではない……と、その場からよく見た。
サバは少し、寂しそうな表情で、そちらを見ていた。
危険な様子ではないようで、すこしほっとする。
そして、不思議に思いながらも、次にサバが見入っているものを確認する。
───声もでなかった。
彼と、彼の胸にすがりつこうとするタマラの姿。
タマラの華奢な女性らしい体が、彼の胸に飛びこんだ。そして彼の両腕がタマラの体をしっかりと受け止める。
その光景が、はっきり目に焼き付いた。
目を逸らすことも出来ない。
(……いや、いや!どうして私に見せるの?それは私の場所だったはず。ジョーの腕は私のものだったはずなのに……)
分かってはいたけれど、この目で見たくはなかった。
タマラの思い詰めた瞳が彼の瞳を見つめ、その顔が彼の胸に埋められる。
いつのまにか、 彼の腕がタマラを抱きしめていた。
ぎゅっと目を閉じる。
閉じても、瞼の裏には、はっきりと二人の姿が浮かんでしまった。
(……ううん、ちがうわ。ダメ……)
頭を一つ振る。
( 今はもう、ちがう。ジョーが、本当に愛している人の場所。彼が幸せを感じられる人の場所。悲しいけれど、もう、そこは私の場所ではないの。分かっていたのに……)
サバが気配を感じてしまったのか、後ろを振り返った。強張った表情でこちらを見つめている。じっとこらえていたはずなのに、目の奥がじんと熱くなる。ダメ。そう思った時には、思わず涙がこぼれてしまった。
(やだ……泣いたりするつもりじゃ、なかったのに……)
何か言いだしそうなサバを、手で制してその場を走り去る。
サバは、慌ててその後を追ってきた。
下草が、かさかさと小さな音を立てた。
そして、そのサバの気配に、ジョーははっとして辺りを見た。
だが、誰もいない。
自分の胸では、タマラが亡き両親を思い泣きじゃくっていた。ジョーも、その自分と似たタマラの寂しい気持ちに共感していた。慰めるように、そっと背中をなでる。
両親のないこと、タマラは王であった父と、優しい母を遠い昔になくした少女だった。

これからこの王女は、もう誰にも頼らず一人で生きていかなければならない。
傍らに寄り添うピララだけを心の友にして、たったひとりの女王として。
たくさんのこのファンタリオン星の民を、導いて行かなければならない。
だったら、今だけは思いきり泣けばいい。王女としてのすべてを捨てて泣くタマラを、小刻みにふるえている肩を愛しいと思った。
ずっとこうしていなければ、この人は壊れてしまうような気がした。

「フランソワーズさん!」
やっと声をかけたサバに泣き顔を見せたくなくて、フランソワーズはさらに林の奥へと入っていった。
「待ってください!」
「いいの、サバは戻って。私も少ししたら行くわ。大丈夫」
振り返らずに、そう言う。
「でも……」
「大丈夫よ。少しだけ、一人にしておいて」
「……はい」
サバが立ち止まり、俯いたまま頷いた。
「お願い、サバ。……みんなには言わないでね、心配かけたくないの。私は大丈夫だから」
涙に濡れた瞳を無理に向けて、彼女は微笑んで見せた。
もう一度こくんと頷くサバ。
「ありがとう」
自分がここにいるからフランソワーズは泣けないんだと悟ったサバは、心を残しながらもその場を去った。
(ジョーさんとフランソワーズさんは、恋人同士だと思っていたのに)
二人の姿に、仲のよかった自分の両親を重ねていたのに。
とぼとぼと、イシュメールに向かう。
彼女は一人きりで泣くのだろうか?
(ぼくは、本当に一人で先に戻ってしまって、いいのだろうか)
そこで足が止まる。
引き返そう。ちょっと離れたところで、フランソワーズさんが戻ってくるのを、待っていよう。 そう思ったときだった。
「おい、サバ、こんなところにいたのか」
不意に声をかけられて、思わず飛び上がりそうになった。
「うっわっ、あ、ハインリヒさん……」
「なんだ?元気がないな。どうかしたのか?」
「いえ、なんでもありません」
怪訝に思いながらも、ハインリヒはサバを促して歩き出した。
サバは、思わず後ろを振り返りそうになるのを、必死に抑える。
「あの……ぼくに何か?」
「ああ、サバ、そういえばフランソワーズは一緒じゃなかったのか?イシュメールにいなかったから、てっきり一緒なのかと思っていたんだが」
びくりとしたサバが、つい後ろを振り返った。
「あ、え……と、さっきまで一緒でした。そのうちこっちへ来ると思います。僕だけ先にイシュメールに戻っていようと思って。フランソワーズさんは……えーっと、その、お散歩してます」
ハインリヒが、サバの瞳をのぞき込んだ。
「サバ、なにかあったのか?」
「い、いいえ。どうしてですか?」
「サバは嘘をつくのが下手だからさ。彼女はどうした?」
「なんでもないんです」
「サバが言ったなんて誰にも言わねえよ。見当はついてるんだ。みんなな」
にやりと笑うハインリヒに、サバは観念したように話しだした。
自分が見たのは泣いているタマラと、それを慰めるジョー。
見てはいけないものを見てしまったような気がして、動けないでいるところに、フランソワーズが来たこと。タイミング悪く、タマラが彼の胸に飛びこんでいくところを彼女が見てしまったこと。彼女はその場を走り去り、しばらくの間一人にして欲しいといったことを、隠さずに話した。
ハインリヒはそれを聞くとサバにしっかり口止めし、彼女の後を追った。
多分、とても傷ついてる。


8. ハインリヒとフランソワーズ

フランソワーズはいた。
大木に身を寄せ、額を太い木の幹にあてている。 声もなく泣いているのだろうと思った。
そっと草を踏みしめて近寄る。
彼女は、はっとして顔を上げた。もう、泣いてはいなかった。
「おっと……さすがだな。もう見つかっちまった」
「ハインリヒ……」
「こんな所で何をしてるんだ?通りかかったら、フランソワーズがいるから驚いたよ」
「……ウソが下手ね。……私を探しにきてくれたんでしょう?」
ハインリヒは曖昧に空を見上げると、肩をすくめた。
「戻らないか?」
「ありがとう。でも、もう少しだけここにいたいの……ごめんなさい」
「頼る者のないタマラを励ましてるのは、ジョーの優しさだ。フランソワーズが気にすることはない」
「……そんなこと、わからないわ」
寂しげに微笑む。
「どうして?俺たちから見るかぎり、お前さんたちは強く結び付いているように思えたが」
「……私は。ううん、でもそれはあの人と知り合う前のことよ?あんなに素晴しい人。……私にはかなわない」
ハインリヒは、彼女の横顔を見つめた。
涙は流していなかったが、ひどく寂しげで、泣いているように見えた。
「言いたいことがあったら言っちまいな。俺でも、聞くことだけはできるぜ」
「………ありがとう。いつかきっと、こういう日が来るような気がしてたの。それが突然で……。ちょっとびっくりしただけ」
「フランソワーズ」
ハインリヒの声は、少しだけ咎めるようだった。
「もう、大丈夫。あんな風には一緒にいられなくても、仲間として動けるだけで私はうれしいの。バカね」
「フランソワーズ!ちゃんとあいつに聞いてみな。……あいつの気持ちを」
「……」
彼女は悲しげに小首を傾げた。
ぽろぽろと透明な涙が、頬にこぼれ落ちる。
「やだ……、もう大丈夫って……」
後は声にならなかった。両手で顔を覆ってしまう。
「……ちゃんと聞くまで諦めたりするんじゃない。あいつはいなくなった訳じゃない。生きて、そこにいる。だからホントの気持ちを聞いてからでも、遅くないだろう?」
「ジョーを信じていたわ。あの人に会うまでは……。……だって……私じゃ……かなわない。……美しい、気高い王女様と、半分機械の戦いの道具のサイボーグ。しかも、仲間の足手まといになってばかりで……。ジョーを信じていたかった。でも……。同じ立場だったら、私でも美しい王女様を選ぶに違いないわ」
溢れ出した涙は、止まらない。
「バカっ!そうやって自分を貶めるからさ!確かにタマラは素晴しい女性だ。君が言うように、気高い王女だ。だが、君だって負けちゃいない。足手まといになんかなってない。わかっているんだろう?俺たちは……。誰一人欠けちゃいけないんだ」
フランソワーズが、潤んだ瞳で、ハインリヒを見た。
ハインリヒは、彼女の両肩にそっと手を乗せて、軽く叩く。
「もっと自信を持てよ。君はジョーを愛しているんだろう?」
彼女は小さく頷いた。そして、次から次へと溢れる涙をそっと拭うと、ようやく微笑んで見せる。
「あなたのいう通りね。私、臆病になってた。自分に自信は持てないけど、ちゃんと聞いてみるわ。ごめんなさい。今、こんなことしてる場合じゃないのに。イワンたちが心細い思いをしてる時に。……こんな私情を挟むなんていけないわね」
健気にも顔を上げた彼女を、思わず抱き寄せた。自分の胸に彼女を押しつける。
「……ハインリヒ……?」
少し慌てた声で、彼女が呼びかける。
「泣きたいときくらい、俺を……。俺たちを頼ってくれていいんだぜ?泣くための胸くらい、いつでも貸す。それに、少しあいつを慌てさせてやればいいんだ」
彼女が、身体を自分の胸に預けて頷くのが分かった。
「ごめんなさい。私、心配ばかりかけて……」
「そんなことないさ。悪いのはジョーだ」
くすりと笑う声がした。
「さあ、行こう。サバが心配して、その辺で待ってるかもしれないぜ」
「ええ……。ハインリヒ……ありがとう」
フランソワーズの肩をそっと押し出す。
華奢な手触りが、もうあんなふうに女性を愛することなどないと思っていたハインリヒの心を揺さぶった。
(オレもジョーのことは言えねえな)
少しの間並んで歩いているうちに、フランソワーズは少し離れた木の下に座っていたサバを見つけ、走っていった。ハインリヒはその後ろ姿を見送る。
とりあえずは、大丈夫そうだ。
「よう」
いつのまにか、後ろからハインリヒの肩に腕をかけながら、ジェットが体をぶつけてくる。
「なんだ。見てたのか?役得だっただろう」
「ハン、言ってら。あいつはオレたちにとって、妹みたいなもんだからな」
まるで念を押すように、ジェットが言った。
「なんの心配をしてるんだかなあ。当たり前だろ。あんな風に泣いてるのを放っておけるか」
「まあな」
「お前だって、同じようにしてたさ」
「……多分な。あいつも罪作りなヤツだぜ。毎度毎度、モテやがって」
「それが本音かよ」
「ち、ちがう!フランソワーズをあんな風に泣かす奴は、誰だって許さねえ」
ジェットを横目で見て少し笑った後、ハインリヒも頷いた。
「ま、そうだな。あいつにもどうするのかはっきりしてもらわないと、こっちも困る。いつまでも、ここでぐずぐずしてるわけにはいかないだ。コルビン博士とイワンと……サバの親父さんの命がかかってる。もしもあいつがここに残ると言い出したら、ちと厄介だな」
「……ジョーがそんなこと言うはずねえって分かっていて言うんだな。お前」
ジェットが呆れたような声でつぶやく。
「……わからないさ。オレの知ってる限りのジョーなら、残るなんて言い出すはずはないんだが、今回ばかりはあいつの行動が読めないんだ。いつだって彼女を大切にしてきたはずなのに、泣かすような真似しやがって」
「……それだけあの姫さんに本気ってことかな」
「さあな。あとはあいつ次第さ。フランソワーズのことは俺たちで元気づけるしかない。それに彼女も強い。今がどんな時かをきちんと知っている。だから……もうきっと涙を見せたりはしないさ。そういうヤツだよ」
ジェットも小さく頷いた。
「そうだな……ちぇ、あの、バカ」


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