2-1.ジョー 「いいかげんにしないか!ジョー」 ハインリヒが、ジョーの部屋に入るなり怒声をあげた。 「ハインリヒ……?」 「わかんねえわけじゃねえだろ?」 (これでわからなかったら、こいつは本当のバカだ。) 「……」 「自覚はあるらしいな」 ハインリヒは、小さく息をついた。わかっていてやってるのか?いや、そんな器用なことができるような奴じゃない。 だからこそ、余計に苛つくのだ。そう思った。 「オレは見ちまったぜ?お前とタマラが……。お前がタマラを選ぶならそれでもいいとおれは思う。それはお前が決めることだ。……だけど、きっちりけじめはつけな!どうしてこの状態でフランソワーズを放っておく?どんな気持ちでいるのか、そんなこともわからねえのか?」 ハインリヒが一息にそこまで言うと、彼はその場に立ち尽くした。 「おまえはそんなバカじゃねえだろうっ!それもわからねえんなら、お前には人を愛する資格なんてねえ」 「……」 彼はうつむいていた。ハインリヒの言うことはいちいちもっともなことだと思えた。 わかっていて、それでもそれらから目を背けていたことだった。 ハインリヒはまっすぐにそれを見ていた……。 自分にとって大切なことを見失いそうだった。 「フランソワーズ、泣いてたぜ。おまえがどちらかを選ぶのか、それともどちらも選ばねえのか。どちらからも愛想つかされるのか、おれは知らねえ。だけど、あいつをあんなふうに泣かせるな!あいつは……。フランソワーズはおれたちにとっても大事な仲間で、妹だ。あんなふうに感情を押し殺させるな。無理をさせるな。見ているオレたちの方がつらくなる」 ハインリヒはそう言い捨てると、彼をその場に置いたまま部屋を出ていった。 (フランソワーズ……泣いてたなんて。……あたりまえだな。ボクがこんなじゃ……) ため息をついてそこに座った。 先ほどの光景が蘇る。 町のはずれをいつものように歩いていた。その隣にはタマラがいた。 いろいろなことを話しかけ、微笑みながら、彼の後をついてくる。 危険だからといくら諭しても、タマラは必ず彼の傍らにいることを望んだ。 ふとした拍子につまづいたタマラを支えた時、タマラのその柔らかな体を抱きとめた時、タマラはその体を自分に預け、唇を押し付けた。 驚くよりも先に、 彼はその感覚に酔った。 タマラの放つ柔らかな芳香。頬をくすぐる髪も首にまきつけられた細い腕も。そのなによりも甘い唇も。積極的に彼を求めるタマラの姿も。 彼女とは違う。違った魅力だった。彼もいつしか、タマラの肢体を抱きしめていた。 しばらくの間、二人はその酔いに身をまかせた。 タマラがうっとりと彼の体に寄り添ってくる。 ふと彼の脳裏に、彼女の姿がよぎった。 小さく息をのんで、彼はタマラの体をそっと離した。 「……009?」 潤んだ瞳で、彼を見上げる。 タマラはまだその口づけに酔っているように、彼の胸に顔を寄せた。 「タマラ、いけない。君はこの星の王女……」 「いけないことなんて、何一つありませんわ」 「こんなふうに自分を……ボクなんかに」 「私はあなたを愛しています……どうか、この星にとどまってください。私と一緒に……この星を支えてください。それこそが私たちの望みです」 もういちどタマラは体を延ばして、彼の唇に触れた。 「ダメだ」 彼はタマラを引き離した。頭の中が混乱していた。 「どうして?私はあなたを愛しているのです。あなたとふれあいたいと思っているのです」 ファンタリオン星人は、このように愛に対して積極的な種族なのだろうか? それまでの儚げなタマラの姿から想像もできなかった。だがしかし、けっして嫌な気持ちではない。意外だと思うだけだった。 「王女がそんな軽はずみなことをしては……」 「私は真剣です。子供扱いなさらないで」 「戻ろう。タマラ」 まだ不満そうな彼女を促して町に戻る。その間、彼は黙ったままだった。 タマラはその腕にすがるようにして歩いた。無下に振り払うこともできず、そのままエスコートする。 このようにストレートな求愛には、慣れていなかった。タマラの積極的な愛に、彼は戸惑っていた。 彼女の姿が脳裏に浮かんでいた。 タマラを送り届け、イシュメールにもどると彼女が笑顔で迎えてくれた。 タマラと会っていたことを知っているはずなのに、自分を信じようとしてくれる。 うしろめたい気持ちで彼女をしっかりと見ることができなかった。 曖昧に答えると、視線を合わせることもできないまま、彼女をおいて自分の部屋へと戻る。 きっと彼女も気にしてるだろう。自分の態度に気付いているだろう。 不意にノックの音。ドアの外には、ハインリヒが立っていた───。 ハインリヒの残した言葉を、しっかりとかみしめる。 フランソワーズを、自分が泣かせるなんて。 ずっと、彼女を悲しませることは、すべて取り除きたいと思っていた。 それなのに……僕は何をやっているのだろう? 自分の気持ちが分からなかった。 彼女はなによりも大切な人だ。心から愛しているといえる。 それなのに…タマラも美しいと、愛しいとさえ思ってしまうのだ。 (いけない。これでは……) だが……自分に全てを預けてくるタマラを無下に突き放すこともできない。 彼女の、先ほどの悲しげな目が頭から離れなかった。 2-2.フランソワーズ フランソワーズもまた、眠ることができなかった。 彼のさっきの態度が心にかかる。 窓から彼が戻ってくるのが見えた時、あたりはもう暗く、仲間たちも食事を終えていた。 出かけている彼の分だけが、ぽつんとそこに残されていた。 誰もが気にしていて、誰もが彼のことを口にできなかった。 みんなが自分に気を使ってくれているのがよく分かる。それは嬉しい。でも……。 今、こんなことで、仲間たちを煩わせたくはなかった。 ジョーが入ってくる。 (笑わなくっちゃ、ジョーに負担をかけては、ダメ) なんとか笑顔を作ることができた。 なるべくいつもと変わらないように。そう心がけて、声をかける。 「おかえりなさい。ジョー。食事ができてるわよ。大人の自信作」 「あ……ああ。ありがとう」 彼が驚いたように自分を見、すぐに視線をそらすことに、悟ってしまった。 (どうしてまっすぐに私を見てくれないの?いつものように笑いかけてくれないの?お願い。これ以上不安になったら私……いやな女になる。ジョーの行動を盗み見るような…いやな女になる。信じさせて) 涙がこぼれそうだった。 (泣いちゃ、ダメ。ジョーを信じなくては、ダメ) 沈黙の時間が長く感じられた。 彼は、一度もこちらを見ない。 「ゴメン、後でもらうよ」 彼は逃げるように自室に引きこもってしまった。 (どうして?どうして私を見てくれないの?タマラさんとなにがあったの?) 混乱していた。 だが、タマラの美しい姿を思い出す。 自分ではとてもかなわない…。タマラが本気で彼を愛しているのならなおさらだ。 彼を愛する心なら負けてはいないと思う。でも……あの優雅な物腰、美しい姿、気品のあふれる態度。なにをとっても、自分ですらため息をつくほどの人なのだ。 そして……なにより女性らしい色香が漂っていた。 彼がタマラを選ぶのだったら……悲しいけれどあきらめよう。タマラなら自分もあきらめがつく。 ( なによりもジョーが幸せになることが、私の望みなんだから……) 今まで悲しい思いをたくさんしてきた分、彼には幸せになってほしかった。 だから………思わず涙がこぼれた。 自分でも驚いてそれを拭う。 (やだ、泣いたりするつもりじゃなかったのに) 一度あふれた涙は、なかなか止まらなかった。 (こんなところで泣いていたらダメ。みんなに見られたら、心配させちゃう) あわてて顔を拭うと、食事の後片付けをはじめた。 なにかしていないと心が沈んでしまいそうだった。 ……タマラと、なにかあったのだと思う。 彼がタマラを選ぶことになんの問題もないような気がした。 そうしたら、自分のこの気持ちはどこへ行くのだろうか? それでもずっと、彼を見つめているのだろうか? それはダメだ。いくら心が離れてしまっても、彼の重荷にはなりたくない。 この戦いが終わったらまたみんなバラバラになる。そうすれば……彼を仲間だと思えるかもしれない。 何があろうと彼とはそういう絆で結ばれているのだから。 それだけでいいと思った。もう二度と会えない人ではない。 これからも仲間として一緒にいることができる。 彼は大切な仲間で、自分たちのリーダー。 そう、思うことができる日がきっとくるはず。
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