***
数日後、ゼルの言葉通り彼等は磔台であったポットから外され、殺風景な牢の中に押し込められていた。
この間、一度もフランソワーズの姿を見ることができなかった。
通信すらも切られている。彼女の身が心配だった。あんな約束さえしなければ……。
「このチャンスを逃しはしない」
「ワナかもしれないけどな」
「今までの状況と違う。ワナでも乗ってやろう」
5人はひそひそと相談を始めた。決行は今。すぐにでも始めないと彼女の身が危ない。
これ以上、彼女を傷つけることだけはさせたくなかった。
「フランソワーズはどうする?どこにいるのかも分からないし、多分警戒も厳重だ」
「ここに置いてなんか行けるかよ」
「今は考えなくていい。自分たちの脱出路を確保してからだ」
「ジョー!?」
「……そうしなければ、また同じだ。僕らを盾に彼女を脅す。今の契約を見ただろう?フランソワーズと合流しても、また捕まってしまえば僕らの命はない。そうなることが分かっているから……フランソワーズは一緒には来ない」
彼は仲間が心配したことなど、まるで関係ないほど冷静だった。
それまでの悲痛な表情など、かけらも現れていなかった。
「………そうかもしれないけど…じゃあ、ここに置いていくのか?ゼルの手の内に…」
グレートが、不安そうに彼を見上げた。
「そうしたら、絶対フランソワーズは………」
「とにかく、今は自分たちの脱出にすべてを賭けよう。一度脱出してからでも、フランソワーズを取り戻しに来ることができる。……生きてさえいてくれれば」
冷たささえ感じる彼の声に、仲間たちは動揺を隠せなかった。
「おい!お前本気か?!」
ジェットがジョーの胸ぐらにつかみかかった。
冷たい瞳が、無感動にジェットを見返す。
「……あんな奴の所にフランソワーズを置いて行けって言うのかよ!お前はそれでいいのか?!本当にいいのか?!」
食い下がるジェットに一瞥をくれた。
「まずは、できることからだ。他に何か?」
「……別にねぇな。ジョーが決めたんなら、それに従う。フランソワーズのことは心配だが、お前の言っていることも分かる。……できるだけ彼女を救い出せるよう、やるしかないな」
「じゃあ、決まりだ」
「なんだよそれ!オレ一人でも助けに行くぜ!あんな奴にいいようにされてるなんて、我慢ならねえよ!フランソワーズのこと、放ってなんていけるかよ!」
「ジェット、その辺にしとけ。今はそれしか手がない。俺もジョーと同じ意見だ」
「なんだよ、ハインリヒまでそんなことを言うのかよ……ああ、わかったよ!お前の決めたことに従えばいいんだろ?!」
忌々しげに、ジョーを突き飛ばす。
「ああ、今回はそうしてくれ」
ジョーはそう言って、仲間に背を向けた。
ハインリヒはその背中に目をやると、小さく息をついた。
ジョーは何かを考えている。それは分かっているが……。うまくいくことを祈るしかなかった。
そして、いつもと違う彼の様子にとまどう仲間たちに目配せした。
不安を抱いたまま、その時は来た。
「よし!こっちだ!」
5人は巧妙に牢を破って、見張りの兵士から銃を奪う。
闇雲に走り回るのは危険が増すだけだと分かってはいたが、彼女がいないからには偵察もままならない。カンと兵士の様子を頼りに突き進む。
多くの兵士たちと立ち回りを演じ、何とか方向を測った。
次から次へと現れる兵士たちを振り切って、やっと出口が見えたとき、ジョーが身を翻した。
「みんなは先に行ってくれ!僕はフランソワーズを!」
追ってくる多くの兵士の中に身を踊らせる。
「おい!ジョー!一人じゃ危ない!」
「大丈夫だ!みんなは先に行って脱出の準備を!」
ハインリヒが頷いた。
「分かった。存分にやってこい。ここは俺たちが何とかする!」
彼はにっと笑うと、次の瞬間姿を消した。
「さあて、お前たちの相手は俺たちだぜ」
「ジョーのやつ、やっぱりキレてたんだな?やけに冷たいこと言うと思ったら」
ジェットがやけにうれしそうに、ハインリヒを振り返った。
「何か企んでやがるとは、思っていたが……カッコつけすぎなんだよ。ジェットじゃあるまいし」
「なんだぁ?それ!お前だって、さっき、万が一ジョーが行けなかったら自分が行くって言ってたじゃねえか。どっちがカッコつけてんだよ」
「それはお前も同じだろ?」
「ジョーがフランソワーズを見捨てられることなんて、あるわけないもんなぁ?!」
「相当怒ってたアルな」
口々に明るい声をあげながら、敵の和を確実に減らしていく。
「では、でっかい戦闘機でもぶんどって二人の帰りを待つとするか」
「おう!」
残された4人は勢いよく走り込んで行った。
****
何やら騒がしい雰囲気なのは、きっと仲間が動いているせいだ。
やっと脱出することに成功したのだと、ほっとするような気持ちでそこに座っていた。
彼女の能力はすべてこの部屋の壁が封じていた。ほとんど無音の部屋。壁はまったく音を通さない。彼女の透視能力も封じていた。だが、大勢の者が廊下を走るときに生じるかすかな振動や、外と連絡を取っているらしい続き部屋に控えている女の様子から、雰囲気だけは伝わってきた。
「私のことはいいから、みんな行って!」
まるで神に祈るように両手を組んで目を閉じていた。
届かないであろう事は分かっていたがそれでもメッセージを送る。
それに、きっとここへは近寄れないだろうとも思っていた。
ゼルが扉を閉めるときに見た限りでは、扉の前には10人近くの兵士が固めていた。多分ここへ来るまでもかなりの数の兵士が配備されているのだろう。
一つの物音もしないはずなのに、ますますざわめいていくような周囲に胸がさわいだ。
控えていた女が彼女のそばへ寄って来て、守るように隣に座る。
「大丈夫です。ここには誰も近寄る事などできないのですから」
どういうことなのか、世話係のユリアだと名乗ったその女の言葉に意味深長なものを感じて彼女は顔を上げた。
「あなたはもう、ゼルさまと契約をかわされましたね。あなたはゼルさまの所有物となったのです。今、あなたの仲間の方がいらしても、お渡しすることはできません。ここにあの方々が現われてしまってはあなたの心は乱れるばかりでしょう?一緒に行きたくとも行くことのできない、あなたの身では」
淡々とした口調で念を押すようなユリアの言葉に、祈るような気持ちでいた彼女は怒りを覚えた。
「わかっています。あなたに言われなくても、私は一緒には行きません」
「その指輪の意味をお忘れになりませんように」
ひとかけらの表情もない。
この女もやはり監視なのだと思った。
その時だった。
音のしない部屋の扉ががたがたと揺れていた。小さな鍵の音が3回する。
転がるようにして入ってきたのは、彼だった。あちらこちらに小さな傷を作っていた。
その茶色の瞳が、まっすぐに自分に向けられていた。
「フランソワーズ!!」
「…ジョー………」
彼女は動けなかった。
彼はじっとしたままの彼女に駆け寄ると、有無を言わせず抱きしめる。
ほっと息をつく彼の姿も痛ましかった。
「ごめん……フランソワーズ……遅くなって」
彼女の耳元で、かすかな彼の声。それでも彼女は動くことができなかった。
懐かしい彼の声、彼の腕にうれしさがこみあげてくる。この腕を欲していたのだ。狂おしいほどに。ゼルに触れられる度に。
「帰ろう!僕らの家へ!」
でも……でも………。
左手の指輪が目に入った。
「契約なんか関係ない!君は誰のものでもないんだから!早くこっちへ」
一緒に行きたい。ジョーの元に戻りたい。でも……。
ダメ……私が一緒にいったら、みんなが危ない。今の状態ならば自分は殺されることはないだろう。
殺されなければ、ここから逃げるチャンスもある。もう、仲間の元には戻れないとしても。
「…ダメ。……ダメなの。……契約が。……あなたたちに迷惑が………」
彼女が彼の体を離した。途端に二人の間にユリアが割って入った。
「契約は絶対です。お嬢様は渡せません」
冷たい声でそう告げると、ユリアが銃をジョーに向けた。
「どけ」
彼は短く言ったきりだった。 目は彼女を捕えて離さない。
突然、彼が飛びずさった。彼のいた場所に光の弾がうちこまれる。
「やはりまぎれこんでいたか。ノラ犬め。私の女が目的か?」
「ゼル!」
「フランソワーズに聞いたか?お前と共には行かないと」
「ごめんなさい!ジョー!あなたと、行けない……」
消え入りそうな声で言う彼女を振り返った。
「あなたは、行って!生きて!……さようなら……」
「君は僕がゼルに勝てないと思っているのか!?」
彼女ははっとして彼を見つめた。この数日の間に何があったのか分からない。
もしかしたら、自分が想像しうる、最悪の事態に陥ってしまったのかもしれない。
それでも自分の気持ちは変わらなかった。彼女と一緒にみんなの所へ帰ること。それだけだ。
ゼルが彼女の肩を抱いていた。
そのまま腕をのばし、まっすぐにゼルの銃が彼を狙っていた。
「減らず口をたたくな。お前ごときに私が倒せるとでも思っているのか……?」
引き金にかかった指に力が込められる。
彼女はとっさにその体を突き飛ばした。
「うっ!」
ゼルがバランスを崩す。
その間にジョーは、ゼルの銃口から逃れていた。
「フランソワーズ!こっちへ」
「覚えているな。私との約束を!」
二人の声に彼女は躊躇した。
(ジョーがゼルに負けることなどない!でも……!)
仲間の傷を思うと動けなかった。自分さえここに残ればゼルは仲間を追わないかもしれない。
彼をも傷つけることは、しないかもしれない。
彼は銃を構えると迷わず撃つ。一瞬のことだった。
光の筋はまっすぐに彼女を捕えた。
「!!」
彼女は声一つ上げず、その場に崩れる。少し微笑んでいた。
その彼女の体をゼルが支えようとした。今度はそのゼルに向かって撃った。
ゼルが彼女に触れることを許さなかった。
彼女の体がゆっくりと床に倒れる。
ゼルも右手の銃を構え直していた。
「フランソワーズ!!何をする!血迷ったのか!?愛しい女に拒絶されて逆上したか!」
彼は何もいわずにゼルを狙う。ゼルもすかさず反撃した。
その間に、倒れたままの彼女のもとにユリアが走っていく。
「ユリア!女は無事か!すぐ治療を!」
ゼルの指示にユリアが頷いた。
何度、撃ちあったことだろうか。ほんの一瞬の隙をついて、ゼルの利き腕を彼の銃が撃ち抜いた。
「くっ!」
ゼルの手から銃が離れた。それを確かめる前に彼は彼女の方に駆け寄りながら、フランソワーズを抱き起こそうとしていたユリアをも撃つ。
「ああっ!」
ユリアがその反動で彼女の側から離れた。
「ゼルさま!お嬢様は気を失っているだけです!」
ゼルが体制を立て直すより早く、彼は彼女を抱き上げた。
「これはフランソワーズの意思ではない。僕がさらっていくんだ。……お前との契約なんか、関係なく」
「なぜ撃った?」
彼は彼女の指から指輪を抜き取ると、それをじっと見つめた。
なにか文字が彫ってあるが確認する気にもなれない。
これが、このゼルの指輪が彼女の細い指にあることも許せない。
彼は視線をゼルに戻し、指輪はそのまま下に落とす。小さな高い音をたてて指輪は転がった。
「フランソワーズは契約に囚われて僕の近くに来ることができなかった。無理に連れて行こうとしても、彼女は素直に来てくれないかもしれない。僕はお前なんかにフランソワーズを渡したくない。そばに置いておきたくない。……たとえ彼女に恨まれたとしても。だったらお前が彼女にしたように、僕も強引に彼女をさらっていくしかないだろう」
その言葉を残して、彼は姿を消した。
その後には小さな指輪だけが、冷たい床に転がっていた。
「……ゼルさま…申し訳ございません!すぐに追わせます」
「いや、いい。ユリアのせいではない。少し、やつらを甘く見ていたかな」
「お怪我を……」
「ユリアもな」
ゼルが、ユリアの腕に目をやった。ユリアが会釈する。
「必ず手に入れるぞ。あの娘を。それまであいつのそばにいればいい。もっともっと大切にするがいい。幸せを感じてみるがいい。……その後で私があの娘を奪う。必ず引き裂いてやろう」
ゼルは彼女の指から抜かれた指輪を拾い上げて憎々しげに笑った。
*****
「ジョー!」
彼の姿を見つけて、ジェットが大声で叫びながら駆け寄ってくる。
外では仲間が待っていた。
そして、彼の腕にはぐったりとした彼女がいた。
「!?」
「お、おい……フランソワーズはどうした?大丈夫なのか!?」
「大丈夫。ボクが撃ったんだ。気を失ってる」
「ジョーが!?」
「話は後だ!脱出しよう!」
仲間が奪い取っておいた大型の戦闘機に乗り込むと、素早く発進する。
追いすがる敵の戦闘機を必死に撃墜しながらなんとか巻いたとき、だれもがほっと息をついた。
そして一つの椅子を振り返る。
絹の夜着をまとった彼女が、そこに横たえられていた。
「………彼女は、無事だったのか?」
「多分。契約には囚われていたけれど」
「だから、撃ったのか?パラライザーとはいえ……」
彼は苦笑した。
「こうでもしなかったら、彼女は一緒に来ることはなかった。特に今のフランソワーズは、自分のせいだって思い込んでるようだったから、自分を犠牲にするつもりでいたから、余計に頑なになってた」
「そうか……そうだな」
「彼女が一番大変だったんだ……」
彼は彼女の寝顔に抱きしめたい衝動にかられたが、辛うじてその気持ちを押しとどめる。
加速し、脱出しながら抱きしめたことを思い出していた。
とにかく今は、仲間と合流することが先決だ。
いくつか用意してあった秘密の基地の中から一番近い基地へと向かう。
博士たちは無事だろうか?ここにいてくれればいいのだけれど。
******
「おお!おまえたち、無事だったか!」
「博士!!よかった……無事だったんですね!」
「何とかイワンが察知してくれてな。ここに来るだろうと思って待っていたんじゃ。イワンがお前たちが大変な事になっているというので心配していたのじゃよ。なにせイワンは、それ以外教えてくれなかったから」
それぞれ複雑な表情で顔を見合わせていた。
「……フランソワーズはどうかしたのか?」
博士が驚いたようにジョーの腕の中の彼女の姿を見た。
服装も見慣れないものだし、意識もない。
「………」
「と、とにかくこっちじゃ。簡単に検査するから」
彼は黙って博士に従った。
仲間たちは、それを見送る。
「おい、イワン。お前さんは彼女の身に起こったことを、一部始終見ていたのか?」
「ウン」
ふわりと浮き上がったイワンに。全員の目が集中する。
「彼女は、その……ゼルに……」
「奪ワレテハイナイヨ。デモ傷ツイテル。トテモ」
「そっか……少しだけ、安心した」
「ジョー」
ギルモア博士がジョーを中に呼んだ。
「検査は終わったよ。大丈夫、体にダメージはない。今は眠っているだけじゃ」
彼は博士を見なかった。
何も言わずに、眠ったままの彼女の横顔だけを見つめていた。
「一体何があったのじゃ」
「…………僕たちの目の前でゼルに……NBGの総帥だと名乗る男に襲われそうになりました。その……女性として。フランソワーズは囚われていた僕たちを助けようと、ゼルを受け入れようとして」
「……なん、だって……?」
「………」
「そうか。ジョー少し彼女を見ていてくれるか?ケガはない。じき目が覚める」
彼は小さく頷いた。
博士が部屋を出ていく。
きっと今から仲間たちに詳しい事情を聞くのだろう。
自分の口から詳細を語らせることなどできないと、そう判断したに違いない。
彼は小さく息を吐いた。
眠る彼女のくちびるを指でたどる。
大切に大切にしてきたのに、やすやすと奪われ、傷つけられた。
それも自分に対するいやがらせのためだけに。
自分が情けなかった。醜く嫉妬している自分もいやだ。
彼は、小さく頭を振った。そして、もう一度彼女の顔を見つめる。
意識のない彼女にこういうやり方はずるいと分かっていたし、自分の満足のためだけにこういうことをするのはゼルと同じだと思った。
しかし気持ちは止められない。
彼女のくちびるに自分のくちびるを重ねた。 彼女を今よりももっと近くに感じたかった。
「ん……」
小さく彼女が呻いた。
ジョーがそっとくちびるを離す。
今、彼女に会うのが怖いような気がした。
自分を許してくれないかもしれない。それだけの目に彼女はあった。自分のせいで。
それでも。たとえ彼女が許してくれなくてもここにいて欲しい。
ゼルの思うままにさせることなんて、どうしても許せなかった。
「フランソワーズ」
小さく名を呼んでみる。
彼女は、その声に気づいたのか、ゆっくりと目を開けた。
そのままぼんやりと天井を見つめている。
「フランソワーズ……大丈夫かい?」
「……ジョー……」
「帰ってきたんだよ。全員無事だ。君も含めて……」
「私……私、どうしてここに!?ゼルとの契約は…!?」
「もう、全部終わったよ。僕があそこからさらってきた。君の意思ではなく、僕の意思で。君は契約を守ろうとしたけど、僕はそんなことして欲しくなかったから」
「……」
「ごめん。僕まで君をモノみたいに扱って……言い訳はしないよ。フランソワーズがあんな目にあったのだって僕のせいだ」
「ちがうわ……私が悪かったの。あれくらいのことで動揺したりしたから。ごめんなさい。あなたたちに心配かけて」
「あれくらいのこと!?そんなことない!こんなに君が傷ついてるのに!」
彼女は頭を振った。
「……ちがう。私が騒いだりしたから、みんな……私を……」
ポロポロと涙をながす。
「君がゼルに触れられているとき、僕は………ゼルに嫉妬していた。僕のフランソワーズに触れるなんて。キス、するなんてって。ゼルを殺したいと思った」
「ジョー」
「君のそばへ行って君を抱きしめたいって……ずっと思っていた」
彼は彼女を抱き起こす。
「無事で……よかった」
「ダメ……私、私……あなたのそばにいる資格なんてない」
「そんなことない」
「でも……私、あなたを裏切るところだった」
「僕がそばにいて欲しいのに。僕の方こそ、君にそばにいてもらう資格なんて、ないのかもしれない。僕のせいで……君が傷付いたんだ」
彼女を強く抱きしめる。彼女もそのまま、彼に身をまかせていた。
「ごめんなさい、ジョー」
「謝るのは僕だ。フランソワーズ。怖い思いをさせてしまって……」
彼女は彼の胸ではらはらと涙をこぼしていた。
そっと唇を重ねる。彼女の唇の柔らかな感触にゼルの姿が脳裏をかすめた。
ゼルの奴になんか、もう絶対に触れさせたりしない。
いつになく激しいくちづけだった。二人の間のゼルの気配を消すかのように。
ゆっくりと離して抱きしめる。
「もう、あんな思い、したくはない」
*******
「おお!」
ジョーがフランソワーズを伴って仲間の元に現れると、どよめきが上がった。
「フランソワーズ。目が覚めたのかい」
小さく頷く。
「とにかく、無事でよかった」
「みんな、ごめんなさい。心配、かけて」
そう言っているうちに涙があふれた。
「ご、ごめんなさい」
彼がかばうように、自分の胸に彼女を押し付けた。
「いいんだ。もう、大丈夫だから」
ハインリヒが言う。
「そうアル。泣かなくていいアルよ」
「あいつの前で、強気のおまえさんは美しかったぞ」
「そうだよ。毅然としていて」
「君は俺たちを助けてくれたんじゃないか」
みんながポンポンと背中を向けた彼女の肩を叩く。早く立ち直ってほしかった。
「ごめんなさい。ありがとう」
彼女は彼から離れると、涙をぬぐって微笑んで見せる。
「そうそう、そうやって笑っているのが一番だ」
「みんなは、大丈夫だった?私、みんなの体のほうが心配だったの」
「オレたちはピンピンしてるよ」
「大丈夫だ。すべて……終わった。ゼルにとどめはさせなかったけど」
彼女は黙って頷いた。
ようやく、帰ってきた気がしていた。
********
「ここの基地はバレてはいない。ゆっくりすればいい」
博士の言葉に従ってみんな思い思いに休んでいた。
今回の戦いは傷を多く残した。誰一人として欠けなかったことだけが救いだ。
まだ彼女は少し儚げだったし、それを見つめる彼も痛ましい。
「大丈夫だよな、あの二人なら」
「あれでこわれるようなもんじゃないだろ」
それが仲間たちの見解だったが、遠巻きにみているしかない。
ジェットの「もっと仲良くなる方法だってあるんだぜ」の発言は仲間たちに波紋を呼んだ。
奥手の二人がまだそういった関係に進んでいないだろうことは察しが付く。
ゼルも言っていたはずだ。彼に向かってまだ触れていない彼女と。
それだけ大事にしていたのかと思うと余計に切ない。
実際、二人の仲の進展は仲間たちにも興味あるところだったが。
博士は博士で娘を嫁に出すようだと言うし、年配のふたりもそんな様なことを言っていた。
若い者たちは二人の仲を深めるためには、と称して自分の体験談になっていく。
とにかく二人を肴に楽しんでいることだけは確かだった。
それで二人が立ち直ってくれるのならなおいいのだが。
しばしば島の海岸を散歩する二人の姿が目に入った。
なんだかまだ、わだかまりが残っているようだった。お互いを責め合うのではなく、自分を責めるが故に。
仲間たちの結論は、自分たちがここにいて二人きりにはなれないからだということに落ち着いた。
そこで偵察と称してみんなで元の基地に一度戻ることにした。もちろんイワンもつれて。
眠ったままのイワンまで連れて行くことに彼女はいぶかしんだが、彼は仲間たちの意図を知らされて赤くなった上に苦笑した。
「そんな……まだ、そんな時じゃない」
「そんなこと言ってるとあいつにさらわれちまうぜ」
「たまにはそういう静かな時間も必要だというだけだ。特に今の彼女には。ジェットの言うとおりにするこたぁない。なに、国民性のちがいってやつだ」
「そういうことなら……感謝しておくよ」
彼は笑った。ジェットは不満そうだったけれど、それで二人が元気になるのならと承知した。
*********
せっかくの二人きりの時間。彼等は他愛なく過ごした。
夕暮れになっても帰ってこない仲間たちを心配し始めた頃、ハインリヒから連絡が入った。
本拠地は無事だからこちらに泊ることにする。明日迎えに行くというものだった。
二人はほっと胸を撫で下ろした。とりあえず、危険はないようだ。
そして、 彼は内心苦笑していた。
通信を切る間際に『うまくやれよ』と、割り込んできたジェットがにやりと笑ったのだ。そのジェットを背後からハインリヒがぽかりと殴る。
『こいつの言うことは気にしなくていい。……お前らの気持ちが大切なんだからな』
ハインリヒの言葉に、 急に照れくさくなった。もう夜はそこまで来ている。
みんなに知られているのも何だか気恥ずかしいが、それもいいかと開き直った頃、あるものを思い出した。
夕食後、彼は彼女と散歩に出た。
月明りが美しい晩だった。
波に映る月を見て彼女が感嘆の声をあげる。
波打ち際でつま先を濡らして、踊るように歩いていた。
こんな彼女は久しぶりだと、ジョーはまぶしく見つめた。
そして、ひとつ息をつくと、彼女を呼び止めた。
「フランソワーズ……その……君にずっと渡したいものがあったんだ。えっと……今、渡すのはすごく卑怯な気もするけど……よかったら持っていてくれる?」
ポケットから小さな銀色の輪を取り出した。
花をかたどったシンプルなそれは、彼の手から彼女の手の中に押し込まれた。
彼の手のひらのぬくもりで暖められたものを、彼女はゆっくりと手を開いて見た。
「……あんなことがなければ焦らないなんてバカな話だけど、ずっと前から、君に渡したかったんだ。僕の、気持ち。そう思ってたのにゼルが……」
彼女はそっとそれをはめてみる。ぴったりだった。
「ありがとう……すごく……うれしい……」
彼女の瞳が潤んでいた。桜色に染まった頬。
彼はすぐに目をそらした。
「……ゼルにはりあってるわけじゃない。なんだか今さらって気もしてなかなか渡せなかったんだ。その……フランソワーズに似合いそうだと思って……」
そっぽをむいてぼそぼそと話す彼が、照れていることに気付いて彼女も微笑んだ。
「そんな風には思ってないわ。あなたがずっとこれを持っていてくれたのがうれしい」
そっと指輪を包むように左手を右手で覆った。
いつもの住処でないここで彼が手渡してくれるということは、ずっと持ち歩いていたことになる。
ほとんど着のみ気のままで戦っていた今だ。多少の衣類は基地に置いてあったものの。
それでも今持っているということは………。
指輪なんてただの装飾品にすぎない。指輪でなくてもいい、それを彼が彼女のために選んで贈る行為自体に意味があるのだから。
「ゼルがはめた契約の指輪は僕が外して、あそこに捨ててきたから」
後ろを向いたまま言う彼の口調はそっけなかったが、十分彼を怒らせていたことの分かるものだった。
彼女は何だかうれしくなって、彼の背中に抱きついた。
「ありがとう。私のために怒ってくれて」
「僕だってくやしかったんだ。君の指にあの指輪があるのは、許せなかった」
彼女はただ、頷いた。彼の気持ちがうれしかった。
「私も、いやだったの」
彼は振り返って彼女を抱きしめる。甘い香りのする彼女のからだ。彼女がそっと目を閉じていた。
ゆっくりとくちびるを重ねる。
「今日は、二人きりだね。僕は……このままずっと一緒にいたい」
彼の言葉に、深い意味を感じて彼女の頬が染まった。
「……ええ……私で……いいの?」
「君じゃなきゃ、いやなんだ。君は?」
彼女は極上の笑みを返した。
「私も」
彼は力強く彼女を抱きしめた。星が降りそうな夜だった。
二人は手をつないで海岸線を歩く。
こんなに甘い時間を過ごすのは久しぶりだと思った。
彼の部屋に彼女を招きいれる。
彼女は少しだけ緊張した面持ちで彼の部屋に入った。
入ったことのある部屋のはずなのにまるで知らない部屋の様だった。彼は少し微笑んだ。
「無理、することないんだよ」
頑なになっているように彼には感じられた。
なにか追い込まれるように自分を受け入れようとしているような、そんな気がした。
「……無理なんか、してないわ。私、あなたが好き。誰よりも。だから……」
「やっぱり無理してる。ゼルのことを気にしているんだね」
「……」
「もう、君にゼルを近付けたりしない。だから、急ぐことないんだ。焦らなくてもいいんだよ」
「ジョー……」
彼は優しく彼女を見た。
「ちがうの。私…もっとはやく、あなたと……。そうすれば……ゼルなんかに屈しなかったのにって……勝手なこと言ってるかもしれないけど、不安だったの。私。怖かったの。あなたに嫌われてしまうのが。それなのにあなたは……そんな風に私のこと思ってくれていて…」
目をそらし、頬を染めて一生懸命に話す彼女が、けなげで可愛らしくて、ジョーはそっと髪に触れる。
「いいんだ。僕が君を嫌うはずないだろう?」
「でも……あんな風にゼルに触れられて」
「君のせいじゃない」
「ううん、私のせい……。それでも私を許してくれる?許してくれるのなら、私を……」
彼女に言わせないかのように彼は抱きしめる。
彼女の細いからだが折れてしまいそうなほど強く強く抱きしめると、くちびるを重ねて彼女の言葉を飲みこんだ。
彼女のすべてが愛しかった。美しかった。自分のものにしたかった。
彼女が、そう望んでくれるのなら。
「君が好きだ。心から愛してる」
聞き取れないほどの声で、私もと返す彼女をベッドに抱き上げた。
月明かりに照らされた、彼女の桜色に染まった頬も同じ色の目のふちも綺麗だと思った。
彼女はからだのすべてを彼に預けて、彼の言葉を全身で感じていた。
桜色の唇が彼の名を呼ぶ。彼女の指が彼を求めて彷徨う。
包みこむように彼の手が彼女の指を握るとやっと安心したようにかすかに息をはいた。
明るい月が二人の姿を浮かび上がらせていた。その二人の影が重なる。
二人はゆっくりと夜を過ごした。何だか眠ってしまうのがもったいないような夜だった。
いつのまにか二人はお互いを確認するように抱き合ったまま眠りに落ちていた。とても幸せそうな穏やかな寝顔で。彼が目覚めたとき、隣に彼女はいなかった。
「?」
彼はあたりを見回す。
今さらながら、ロマンのかけらもないような部屋だったなと思う。
秘密の基地なのだから仕方ないけれど、彼女はもっと甘い夢を抱いていたかもしれない。
「だめよ。まだ、ジョーは眠っているの。静かにして」
彼女の声にドキリとする。誰かいるのか?仲間だったらバツが悪い。
お膳立てされているのも何だか気恥ずかしいというのに。
「フランソワーズ?」
声をかけてみる。
「ジョー。……おはよう」
朝の光の中で、少しだけ頬を染めてうつむく彼女がまぶしい。
「おはよう」
二人で顔を見合わせて笑ってしまった。何だか意識しすぎている。
「起こしちゃったかしら?」
「いや。そんなことないよ。誰と話していたの?」
「あ……ゴメンなさい。カモメたちにごはんをあげていたの。カモメもパンを食べるのね」
無邪気に笑う彼女にほっとした。
「君はいないし、話し声はするし、驚いた」
「だって……なんだか……」
少し目を伏せる彼女長いまつげが頬に影を落とした。でも口元は微笑んでいる。
「どこかに消えちゃったのかと思った」
「私が?私はずっとジョーと一緒にいるの。どこにも行かない」
「そうだね。僕も君と一緒にいたい。だから……もう」
「ええ」
愛しさがあふれて、彼女を胸に抱く。
「あ……」
今までよりもっと彼女が綺麗に見えた。
もう二度と彼女を離したくない。ゼルにも近寄らせないと心に誓う。
仲間たちからの連絡があったのはその午後のことだった。
ドルフィン号で迎えに来る。
本拠地も見つけられなかったのか、それともわざと放っておいてあるのか無傷で残っているそうだ。何も残っていないかもしれないと覚悟していたが。
ハインリヒが目敏く彼女の指に銀のリングを見つけて、ニヤリとする。
彼と彼女の結び付きが強くなったことを確信した。
他の仲間も気付いているのかいないのかまったく気にした様子なく接している。
もちろん、そのハインリヒもだ。
誰もが彼女の微笑みを見て、もう大丈夫だと思った。
また、同じ様なことは起こしてはいけない。こんな屈辱を彼女に味合わせてはいけない。
それが仲間として、男として当然のことだと思った。ましてや……こんなに綺麗な女の子なのだ。
狙うヤツも多いだろう。少しだけ、彼に同情した。
それからしばしば、大切そうに指輪を右手で包む彼女の姿や、連れだって海岸線を歩く二人の姿が見られ、仲間たちはやっと胸を撫で下ろした。ゼルの残した深い傷は思ったより早く回復したようだ。
彼女の笑顔が、それを確かめさせてくれる。
そのすぐそばで、同じように笑っている彼の姿も。
そして、二人がそれまで以上に仲良くなったことは言うまでもない。
The End
*この話は、以前、某サイトに載せていただいていた話に少し修正を加えた物です。
諸関係者の皆様には、深く感謝申し上げます
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