お前がふらりと帰って来たのは、晴れた初夏の真昼だった。
俺は、窓際においたソファの背に腰をかけ、ぼんやりと外を見ていた。
時間のある時は、いつのまにかここに来てそうしていることが多くなっていた。

ふいに、俺の耳にかちゃりというカギをあける音が届いた。
のろのろとそちらに頭を向ける。
ゆっくりとドアが開いて、長い亜麻色の髪が見えた。
ふわりとどこかで咲いているのだろう花の、甘い香りがする。
軽い足音がして、ドアが閉まる。
そしてお前はいつもと同じように、ドアの横の棚にカギを乗せた。

俺のいる窓からふいに強い風が入って、カーテンが俺を目の前に大きく膨らみ、はためいた。
目の前が淡い水色で遮られる。お前が選んだカーテン。
俺はこの部屋には似合わないと言ったのに、勝手に決めてでもそれがいつの間にか馴染んでいる。
カーテンの向こうで人陰が動いた。

「……お兄ちゃん」

俺はカーテンをよけて、そちらを見る。
小さなバッグを一つだけ持って、お前が立っている。
まるで、さっきレッスンから帰ってきたところみたいだ。
また夢を見てるのだろうか?
繰り返し見る、お前のいる夢。
シチュエーションは違っても、いつも同じ言葉を俺に告げる。
「お兄ちゃん、いたの?仕事は?」
ほら、やっぱりそうだ。
そして、微笑むんだ。今までと同じように。
何ごともなかったように。
何度も見た夢だ。そして今度も目覚めて落胆するんだ。
必ず気付いてしまう。
お前が帰っていないことに。


ぼんやりとしたまま、そちらを見つめる。
いつもと同じ微笑み……そう思ってから、気がつく。
笑っているのに、どこか緊張したような面持ち。
その手は自然にからだの横に下ろしているようで、だが違っていた。
強く握られた拳が小刻みに震えているように見える。
「……フランソワーズ」
俺は声に出して呼んでみた。
お前の方から、ふわりと花の香りがする。
そういえば毎年この時期には、この花のにおいがしていたはずだ。
お前がいつも楽しそうに報告してくれたことも、一緒に思い出す。
もう満開のようだ。
はっきりとした香りがお前をとりまいていた。
……そうか、俺はお前がいない間、こんな香りがしていることも分からなかったのか。

「ずいぶん、遅かったんだな」
「うん」
フランソワーズが笑う。
それだけで、もう良かった。


「鍵、無くしちゃったの。お兄ちゃんがいつもと同じ場所に、鍵を置いておいてくれてよかったわ。鍵、作らなくちゃ」
「ああ。そうか……。じゃあ、あとで作りに行こう。そうだ、買い物にも行かないと。冷蔵庫がからっぽだ」
フランソワーズが、ほっとしたように、もう一度こちらに目を向けた。
今までどうしていたのかとか、どんなことがあったのかとか、今は聞かなくてもいい。
今のお前のふとした仕草が、俺が知っていたお前とは違っていることを示している。
今までと同じではいられない、何かがあったのだと思う。

お前が目の前でさらわれて、ずいぶんと追い掛けたけれど、結局俺にはお前を守ることができなかった。
どれだけ探しても、俺にはお前を見つけ出すことができなかった。
でも今ここに、今までと同じ日常を作ろうとしているお前がいるということは、お前は自分の身に起こったことを乗り越えて、ここに帰ってきたということなんだな。
お前を守ってくれる誰かがいたのかもしれない。
……そうだな。こんなふうに笑っているってことは、きっと、誰か。
お前が信頼できる、誰かが。

「もう!冷蔵庫がからっぽだなんて信じられないわ。何を食べてたの?」
「その辺のものを適当に。外で食べることも多かったし。だいたい普段は、ここに帰ってくる方が珍しいんだから」
「それもそうね。でもダメよ、きちんと食べなきゃ」
お前はふんわりと笑う。
「やっぱり私がいないと、ダメね」
俺は、お前の青い瞳を見つめる。
俺と同じ色。母さんと同じ色だ。
でも、その色は今までとは違う気がする。
「……ああ、ダメだな。フランソワーズがここにいないと」
「そんなことじゃ、お嫁さんが来てくれないわよ」
「だって、お前は俺の妹だもの。妹は兄貴の言うことをきくもんだぞ。ついでに兄貴の世話もな」
深い深い、青い色。
その青がいっそう深くなる。
俺は手を伸ばして、妹の頬に触れる。
やわらかな感触。確かにここにいる。
俺の大切な妹。

「ただいま……お兄ちゃん」
頬に触れたままの俺の手に、熱いものがこぼれ落ちた。
ああ、お前はここにいるんだな。
俺はそう実感した
「おかえり。フランソワーズ」




*かなり勝手な設定になってると思います。見逃してください〜。
なんとなく、フランソワーズの一人暮らしの部屋、ジャンがお休みの時には一緒に住んでいたんだろうな〜と思ったのがきっかけです。
瞳の色も勝手に書いてます。妄想だと思って笑ってください。
たぶん、もう1バージョンあると思うので、まだENDマークはつけないでおきます〜。


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