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「たいしたもんだぜ」
まだ明るく灯火の点った豪奢な建物を見上げて、ジェットは呟いた。
こんな所で、踊る彼女を見たのは初めてだった。
どうせ自分にはバレエなんてわからないと思って敬遠していたが、内容ははっきりとはわからなくてもその力に圧倒された。
いつもと違う彼女が見られたのも新鮮だった。
少しだけ、違う世界の余韻に浸っていた。まだ、耳に音がのこっている。
なんだか不思議な気分だ。

建物を見るついでに楽屋口ものぞいてみたが、まだ何人かの熱心なファンが待っていて、何となく身の置き所がない。
仕方なくこの階段に座っていた。
綺麗に着飾った女性達が、明るく談笑しながら横をすり抜けて行く。
そして建物の前を通る紳士達は、自分の姿をうさんくさげに一瞥して行く。
……自分がひどく場違いな気がした。
そもそも、バレエを見る気なんてなかった。
今回だってたまたまだ。
フランスに行くからにはちょっと顔でも見ていくか、と軽い気持ちで連絡したのに、なぜかチケットが送られて来た。
オレが見に行ったことないの、知ってるくせに。
少しばかり苦々しく思いながらも、せっかく送ってくれたチケットだ。
ムダにするのも悪い気がして……。だから、とりあえず入ってみた。
思っていた以上に豪華で美しくて優雅で、本当だったら彼女は別の世界に生きていたはずの人だったことを改めて知った。
そして、なんだか余計に居心地が悪かった。

 

不意にあたりがざわめいた。
舞台を終えた出演者たちがでてきたのだろう。
さっきのぞいたときも、大きな楽器を持った連中がぞろぞろと出ていった。
かいま見えた姿は、何人かの男性のようだった。
引き締まった体つきは、さすがにダンサーと言ったところか。
この様子じゃ、まだまだだなと思う。
(この寒いのに、待ってる連中もよくやるぜ)
ふっと息をつくと、それは白かった。
空からは、さっきからちらちらと白いものが舞い始めていた。
なんだか、さっきみたダンスみたいだ。
くるくると舞い落ちる白い雪。
何かに触れた途端に溶けてしまう儚げな様子も。


「おい!」
急に声をかけられて振り返った。
「ここは邪魔だぞ」
いかにも上流そうな男が立っていた。
何人かの連れらしき男達もこちらを見ている。
「ああ、悪いな。ちょっと人を待ってるんだ。そいつが来たらすぐに帰るよ」
なるべく穏便に答えたつもりだったが、そのフランス人には通じなかったようだ。
「そんな格好でここに?…見たところアメリカ人のようだが、無粋だな」
ちょっとばかり、頭にくる物言いだった。
たしかに、周りの人間に比べればラフな服装だったかもしれないが。

うるせえな!!
口元まででかかったそれ以上に汚い言葉を飲み込んで、一睨みすることでなんとか平静を保つ。
いや、保っているはずだ。
こんな所で下手に手を出して、彼女に迷惑をかけるのは最悪だ。
「…と、とにかく、ここに観光客がうろうろしてるのは目障りだ。そんな格好の外国人が来る所じゃない。さっさと消えてくれ」
連れの男達がにやにやと笑っていた。
一つ二つゆっくりと息を吐き、その分じろりと奴らを見上げる。
こういう奴らはどうせ一人じゃなんにもできやしない。
フランソワーズのため。それだけだからな。
心の中でそう呟いて、立ちあがった。
軽く服のほこりを払うと、階段を降りて彼らから離れたところへ身を置く。
『これでいいのか?』
と問いかけるように、両手を広げて見せた。
今のオレは陽気な観光客。そう自分に言い聞かせて。
満足げに笑いながら立ち去っていく男たち。
相手にするだけバカらしい。
そう思いながらも、腹の底ではまだムカムカとしていた。

びゅうっと音がして、風が吹き抜けていく。
それにのって舞っていた雪が飛び去っていった。
建物の灯火にきらきらと輝いている。

……オレも大人になったものだな。
自分で自分の行動ににやりと笑みが浮かんだ。
少し前なら。
売られた諍いはもれなく買っていた。
そして相手を叩きのめした後、何とも言えない不快感と、馬鹿馬鹿しさを覚えた物だった。
今でももちろん売られたケンカは買っているが、時と場所を選ぶことができただけ、オレも大人になった。
まあ、ここはフランスだし。
自分の考え無しの行動で、フランソワーズに迷惑をかけることだけはしたくなかった。
せっかくこんな場所で踊れているのに。
彼女の憧れの場所で。

もう一つ風が吹く。
さっきまではしんしんと冷え込む夜だったのにな。
空を見上げた。
夜目にもわかる、厚く雲が覆った空。
フランスも結構寒いんだな。


また、あたりがざわめく。
どうやら、すらりとした女性たちが楽屋口から出てきたようだ。
ざわめきはさらに大きくなり、ここからでは姿も見えない。
やれやれ、やっとか。
少し移動して、楽屋口の方に向かう。
寒い中待っていた人たちが、サインをもらったり何事かを話しかけたりしているようだ。
警備員が制止しているものの、ダンサー達は快くそれに答えているようだった。
バレエダンサーにも、やっぱりこういうファンはつくものなんだな、とふと思った。
その中でひときわ綺麗に見えるのは、やはり彼女の姿だった。
オレのひいき目かもしれないけどな。
だが、この分じゃあいつはヒヤヒヤしてるだろう。目に見えるようだ。
亜麻色の長い髪をゆらして、ほっそりとした体で人をかきわけるようにしていた。
それでも握手を求められたりしているようだ。

ふと気がつくと、さっきの男たちが彼女に向かって駆け寄っていた。
「あ!あいつら」
そう思う間もなく、手にした小さな花束を恭しく紳士的な態度で差し出していた。
二言三言、言葉を交わす。
こちらをちらちらと気にしながら、彼女のまわりに固まっていた。
まるで、こちらの姿が彼女の目に入らないように、彼女の姿がこちらに見えないようにガードしているかのようだった。

なんだ、そうか!
あいつら、あいつらなりに彼女を守ろうとしてたのか!
フランソワーズに変なヤツを近づけたくなかったんだろう。
そんで、一番の不審人物は………。

そう思った途端、先ほどのバカらしい態度がかわいらしく思えた。
大事にされてるってのはいいことだ。
結構人気あるのかもしれない。
あいつは、余計な心配が増えるかもしれないけれど。
彼女もにこやかに何かを告げると、その場を離れた。
そしてあたりをきょろきょろと見回す。


「おう!」
軽く手を挙げる。
フランソワーズはほっとしたように手を振る。
スカートの裾が風に舞う。
やわらかな街灯のあかりの中、風をまとってこちらに駆けてくる姿は、なんだかまるで映画でも見ているようだと思った。
「よかった。ここにいたのね」
亜麻色の髪がふわりと風に流れて、甘い香りが鼻先をかすめる。
「待たせちゃってごめんなさい。でも、どうしてこんな所に?風が当たって寒かったでしょ?」
「人が多かったからな。もういいのか?」
「ええ。今日はこれで帰れるわ。それにしても、本当に久しぶりね。元気そうでよかった」
ふわりと笑う。
こんな時の優しい瞳は、なんだか自分をほっとさせてくれる。
「フランソワーズもな!ステージもちゃんと最後まで見たぜ」
さらに嬉しそうに笑った。
「ありがとう。どうだった?」
「よくわかんねーけど、キレイだった。たいしたもんだな」
「ジェットの感想にしては上出来ね」
今度はくすくす笑う。
ホントに変わってないな。
なぜだか少し安心した。
「別に待っていてくれなくても、先に家に行ってくれればよかったのに」
「ああ…でも、ジャンに絡まれるからなー」
フランソワーズはまた笑った。
「ジェットは、お兄ちゃんと仲がいいじゃない」
オレはあの兄貴と結構気が合う。合うが、その分絡まれる。
……兄貴は心配してる。いろんなことに。
そしてフランソワーズのいないところで、あいつのことを根ほり葉ほり聞かれるのだ。
それがなんだか面倒で、なんとなく気が進まなかった。

「ああ、そうだ。さっきの奴ら、知り合い?その花の……」
「え?ああ、最近応援してくれてるの。今日の舞台も見てくれたみたいで、お花をいただいちゃったわ」
小さな花束を大事そうに見せる。

目の端にさっきの奴らが目を白黒させているのが映る。
一番遠ざけようとしていたオレに、フランソワーズが駆け寄ってきてしまったからか?
それとも、親しげに話しているからか?


「ちゃんと礼を言ってやれよ。あいつら、この寒い中、ずっと待ってたんだぜ。そんで、フランソワーズのことを守ろうとしてた」
「え?どういうこと?守るって、何から?」
「オレから」
フランソワーズが声を上げて笑う。
「そうね、ちょっと待ってて」
軽い足取りで奴らの所に戻り、言葉を交わすとそっと握手していた。
フランソワーズに直接オレのことを聞いているのだろうか。
そして、フランソワーズはなんて答えたんだろうな。

友達、兄貴、仲間、時々家族……

どれも正しくて、どれも違う気がする。
恋人…だけは完全に違う。
……オレたちも複雑だな。



初めて会ったときは、泣いていた。

周り中敵で、変わってしまった自分の体に怯えていた。
そして、それが過ぎるともう踊れないと言って泣いた。
オレは自分の恐慌状態が過ぎた後だったから、少しは彼女に優しくできた気がする。

ただ、あの頃のオレは、あんなお嬢さんにどんな風に接していいのかわからなかった。
育ちの良さそうな雰囲気、可憐さは、今までのオレの生活には関係のないものだったから。

妹……それがきっと一番安心できるポジションだろう。
9番目のあいつが出てこなければ、もしかしたら隣に立っていたかもしれない。
一番付き合いの長いのは、彼女だったから。

そう考えて、頭を振った。
ま、やっぱり妹だな。友達よりは近い気がする。
大切な女だ。


男たちが見送る中、彼女が小走りで戻ってくる。
名残惜しそうな男たちにちらりと視線をやった。
「もういいのか?」
「ええ。ちゃんとお礼を言ってきたわよ」
オレも笑う。
「あ、そうだったわ」
バッグの中から何かを取り出すと、オレの首にくるりと巻き付けた。
「ジェットは見た目が寒そうなんだもの」
あたたかい。
カーキ色のマフラー。
「これ、どうしたんだよ」
フランソワーズが微笑む。
桜色の唇から、小さく白い息がもれていた。
「ジェットが来るって言ったけど、絶対に持っていなそうだと思って、編んだのよ」
「へ、これを?」
しっかりと首に巻いたマフラーの端をまじまじと見る。
「上手じゃねえか」
「そう?そうでもないんだけれど……簡単だし。本当はもっとキレイにラッピングもしたかったのよ。でもちょっと時間がかかっちゃって、できあがったのは今日なの。外に出たら、ジェットはやっぱりマフラーしてないし」
フランソワーズがふふっと小さく笑った。
「今夜はとても寒いから、もうこのまま使って」
そして、オレの姿を上から下まで見渡した。
「よかった。とっても似合ってる」
カーキ色は、オレの赤毛に映えるだろう。
これはあいつの色じゃねえ。オレの色だ。
そう思ったら、なんだか笑みがこぼれた。
ふんわりとしたぬくもりを感じながら、雪の舞う空を見上げた。

フランスの冬もいいもんだ!
今日は、ジャンに快くつきあってやろう。
朝まで酒を飲まされるだろうが、それもいい。
どこまででもつきあってやれる気分だ。
「ありがとな」
フランソワーズが、満足そうに笑った。

暖かなマフラーにほのかに残る甘い香り。
さっき、いろいろ押さえた甲斐があったな、とちらりと思った。
明日も寒いといい。
このオレ色のマフラーをしっかりと巻いて、パリの街を歩いてやる。

街灯のあかりに、ふわりふわりと舞う雪。
カーキ色のマフラーの裾が、風に揺れていた。

The End

 


舞台がフランスだったので、フランス語のタイトルで…と思ったのですが、ネットの翻訳頼りです。だから、もしかしたらちがってるかも。
hiverはイヴェールと読むそうです。


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