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       *いつも遊びに来て下さいまして、ありがとうございます。 
         ずいぶんと間があいております。 
        お礼用に…と思って、夏の間に書いていたものですが、なんだか、「だからなに?」な内容になってしまいました。たまには、こういうのもよし…と思って頂けるとうれしいです…。 
        お目汚し失礼いたしました   (2004.09.03) 
         
       
      confectionery 
         
        (なんでこんなに暑いんだよ、くそっ!) 
        脇に小さな箱を持った青年は、自分の影を踏みつけるようにして早足で歩いていた。 
        真夏のまぶしい太陽が、公園の木々と青年の影をくっきりと作っている。 
        そして、そのあたり一帯にはうるさいくらいの蝉の合唱が鳴り響いていた。 
        2時間ほど前に通ったときには、夏らしくてなかなかいいなと思えたそれも、今のこの最悪な気分の中では、ただの騒音だった。 
        (ただでさえ暑いのに、ミンミンミンミンうるさいっつーの!余計暑くなる!) 
        そう心の中で毒づくと、足下の小石を蹴り上げようとした。 
         
        その拍子に、持っていたはずの小箱が地面へと転がり落ちた。 
        ちらりとそれを見ると、小さく息をついた。 
        どうせもう用のない物だ。 
        持って帰ったところで、今更開ける気にもならない。 
        自分の手の中から離れていったのも、なんだか運命のような気がした。 
        青年はそのまま、まっすぐに歩き出した。 
        どうせ渡す宛のなくなってしまった物だ。 
        そのことを思い出すだけで、また胸の内がむかむかとしてくる。 
        どうしてなんだ……! 
        「あの…」 
        背後から軽い足音がして、声がかけられた。 
        「落としましたよ」 
        ちっ、と小さく舌打ちして振り返る。 
         
        「ありがとうございます」 
        とても、相手に感謝の気持ちが伝わるような口調ではなかったと思う。 
        実際、感謝などこれっぽっちもしていなかった。 
         
        振り返った先に立っていたのは、太陽の光に輝く髪を持った若い女性だった。 
        「あの、これ」 
        手にした小箱をそっと差し出してくれた。 
        「あ…。ありがとうございます」 
        今度は、なんとかそれらしく聞こえたかもしれない。 
        別に、外国人は珍しくはない。 
        今時、流暢な日本語を話す外国人だってたくさんいる。 
        だけれど、なぜか気後れしてしまうような雰囲気を彼女は持っていた。 
        「大切な物だろうと思って」 
        青い瞳がまっすぐに青年を見て、口元に柔らかな笑みを浮かべた。 
        「え?」 
        「きれいにラッピングされてましたから」 
        そう言ったところで彼女の動きが止まった。 
         
        「これ……。不躾でごめんなさい。これは、どこで?」 
        「フランス土産ですよ。パリの小さな店の」 
        青年は差し出されたまま箱に手を伸ばして、それから少し考えて押し戻す。 
        「よかったら差し上げます」 
        「え?」 
        「それを渡そうと思っていた宛がなくなってしまったので」 
        そう言ってから、自分がかなり怪しいことに気がついた。 
        人に危害を加えるような物が入っていると思われかねない……かもしれない。 
        「ああ、えーと、中身は焼き菓子です。変な物じゃありませんから。買ってから開けてないし」 
        自分でも、恥ずかしいほど言い訳じみていて、余計に怪しいような気がした。 
        それなのに、箱を手にしたままの彼女は、にっこりと笑ったのだ。 
        「裏路地にある小さなお店でしょう?看板にネコの絵がついた。日本の方が、よくあのお店に行けましたね。すごくわかりにくいところにあるのに」 
        「そう!そうです。偏屈そうなおじいさんが作ってる」 
        「アレクシおじいさん、まだお元気なのね」 
        「ええ!きっとそうでしょう。ちょっと恰幅のいい……あ、言葉、わかりますか?」 
        「はい。大丈夫です。懐かしいわ」 
        彼女は引き込まれそうな笑みを浮かべて、こちらを見ていた。 
        しっかりと向き合ってみると、本当に綺麗な人だった。 
        青い瞳が優しそうで、すこしだけ懐かしむような色が見えた気がした。 
        「ああ、あの…今更なんですが、フランスの方ですか?」 
        「はい。このお店の近くに住んでいたことがあるんです」 
        彼女もはっと気づいたように、ちょっと恥ずかしそうに答えた。 
        「近所でも評判のお店なんですよ。でも、外国から訪れた人があのお店に入るのは珍しいかもしれません」 
        「じゃあ、なおさら…。これ、もらってください」 
        枯葉色の包装紙に包まれた箱を彼女の手に戻す。 
        「本当に宛がなくなってしまって。持って帰るのも、なんだか……。そんな気分なんです」 
        ぎらぎらとした光の中で、彼女は小さくうなずいた。 
        「ありがとう。…じゃあ、一緒に食べませんか?私も人を待っているところなんです」 
         
         
        なんだかこのまま去ってしまうのも失礼なような気がして、彼女の提案を受け入れ、二人で木陰のベンチへと移動した。 
        日なたのまぶしさとは違い、なんだか風まで涼しく感じる。 
        さっきまで吹き出していた汗が引いていくのを感じた。 
        隣では、彼女がうれしそうに包装紙を開けている。 
        ……本当だったら。 
        そう思うと少しだけため息がこぼれる。 
        本当だったら、あの子が今、こうして隣で開けているはずだっただろう。 
        自分の買ってきた土産を、いつも楽しそうに開けていた。 
        甘い物好きだったから、たいていの土産はお菓子だ。 
        出張が多い自分だからこそ、あちこちのお菓子をあの子に食べさせてあげられると思っていた。 
        それなのに……。 
         
        「あら」 
        箱を開けた彼女が、小さく声を上げた。 
        そこで、はっと気がつく。 
        そうだった。店主に無理を言って、一緒に包んでもらった物が入っていたのだった。 
        箱の中のさらに小さな箱を、彼女は渡してくれた。 
        「……これも、よかったら持っていってください。俺にはもう、いらない物です」 
        彼女の細い指が、ためらいがちに小箱を膝に置いた。 
        「なんだか、すみません。見ず知らずの方に」 
        努めて明るく言うと、彼女は首を振った。 
        「俺、出張で半年間フランスに行ってたんです。このお菓子の店も、そのとき俺が住んでた近くの店で」 
        箱の中から、一つとりだして袋を開けると、ふわりと甘い匂いが漂っていた。 
        口の中に焼き菓子を放り込む。 
        彼女も同じように、一つ口に入れた。 
        「仕事の方はトラブル続きで、半年の間、一度も日本に帰って来られなかった。でも、電話やメールや…あの子とうまくコミュニケーションとれてるつもりでした」 
        口の中に、ほんのりとレモンの味が残った。 
        「ここの店のお菓子が、とてもおいしかったから、あの子にも食べさせてあげたいと思って。それから、出張続きの俺を、待っていてくれたあの子なら、と、それも買って、中に入れてもらいました。店主のおじいさんにはちょっと渋い顔をされちゃったけど、訳を話したら応援してくれて。…あの子、甘い物が大好きだったから……。ああ、なにやってんだろ、俺。こんな話をするつもりじゃ」 
        「いいんです。続けてください」 
        彼女の青い瞳がまっすぐに自分を見ていた。 
        「……でも……。やっと帰ってきて、今日、あの子に会いに行ったら…。もう終わりだって。他に好きな人が出来たって言うんです。どこにも行かない、ずっとそばにいてくれる人だと」 
        地面を見つめたまま話をつづけた。 
        口の中のレモンの味が、なんだか急に不快に感じた。 
        「俺みたいに、しょっちゅう外国に行っちゃうようなやつじゃなくて、ずっと側にいてあの子だけを見てくれるって。そう言われたら、返す言葉がなかった」 
        たぶん、少し離れたところでこちらを気にしていた、少し頼りなさそうな男。 
        あの子の新しい恋人なんだろう。あの子を心配して、そっとついてきたのかもしれない。 
         
        「目も合わせてくれなくて、どうしてなんだって聞くこともできなくて、渡そうと思っていた物も、ずっと心に浮かんでいた言葉も、全部持って帰って来たんです。…俺だけ一人で盛り上がってて、ずっとあの子は俺のことを待っててくれてると勘違いしてたみたいだ」 
        彼女は膝に置いた小箱の縁を、指でなぞっていた。 
        「だから、このお菓子もそれも、いらない物になってしまったんです」 
        なんで見ず知らずの女性にこんな話をしているのだろうか。 
        今までいたフランスの人だからか? 
        それとも、同じ店を知っていた者としての、奇妙な親近感からか? 
        どちらにしても、彼女にとっては迷惑きわまりない話だと、自分でも思う。 
        でも、どこかで、こんな風に聞いてもらって気持ちが軽くなる自分がいることも感じていた。 
        「……私のそばにも、すぐにどこかへ行ってしまいそうな人がいるわ」 
        彼女が小さくつぶやいた。 
        「……私はその人がとても大切なんだけれど、いつか、彼はかならず行ってしまう」 
        「どこへ?」 
        問いには答えず、彼女は言葉を続けた。 
        「私のことを大切に思ってくれていても、こちらを振り返ったとしても、立ち止まらずにまっすぐ」 
        「いつか必ずそういう日が来るの。でも……私は、彼の立ち止まらないところが本当にたいせつ」 
        少しだけ、口元に柔らかな笑みを浮かべる。 
        「だから、私は一生懸命、彼の後を追いかけていって、必ず隣に並ぶの。彼から私が見えるように。私が彼を見失わないように」 
        「うん」 
        「彼は少しだけ歩くのをゆっくりにして、私が隣に並ぶのを待っていてくれる。そんな気がするの」 
        彼女の言葉の意味はよく分からなかったけれど、彼女が言いたいことはなんとなく分かった。 
        彼女が不意に空を見上げた。 
        「……あなたの大切な人も、あなたが隣に並んでくれるのを待っているのかも」 
        「え?」 
        「なんとなく、そう思っただけ」 
         
         
        彼女の言葉に、さっきのあの子の事を思い出す。 
        俺は、ちゃんと理由もきけなかった。 
        言いたかったことも、なにも言わずに帰ってきてしまった。 
        いつも、俺のことをまっすぐ見てくれる子だったのに、最後まで俺の顔を見てくれなかった。 
         
         
        彼女が何も言わないで、小箱を手渡してくれた。 
        彼女との間においてあった箱から、菓子を片手でつかめるだけつかむと、ポケットにねじ込む。 
        「いろいろありがとう!中途半端で悪いけど、残りはもらってください」 
        勢いよくベンチから駆けだした。 
        目の端に栗色の髪の男が映って、直感的に彼女の『待ち人』なんだと分かった。 
        一瞬見えた彼の瞳が、なんだか心配そうにこちらを見てるようだったから。 
        隣を並んで歩ける人があの人だなんて、ちょっと妬ける。 
         
        そう思った後、あの子の事を思い浮かべた。 
        本当に隣に並ぶの待ってるのだろうか。 
        もうダメなのかもしれない。 
        あの子には、本当にあの男がいて、結局自分はふられる運命なのかも。 
        そういえば、あの子の寂しがり屋なところがとても可愛くて好きだった。 
        それが理由でふられるんだったら、それもまあ、しかたないか。 
         
        ラッピングなしのむき出しの菓子が、まるで、今の自分のようだと思った。 
        甘い物好きのあの子は、これでも気に入ってくれるだろうか。 
        ……大丈夫。あの子の好みは、俺が知ってる。 
        「気を付けて」 
        背中の方から、彼女の声が聞こえた。 
        大きく手を振って、そのまま走り出した。 
      The 
        end  
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